福本早穂の教育心理カウンセリングオフィス、子どもと家庭の相談室こころのそえぎ 京都市山科

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こころのそえぎ日記(ブログ)

2006年

今年最後のヨガ教室

この一年でずいぶん体が変わったと思います。

ヨガのストレッチも効果があるけれど、体を動かすときに伴う呼吸が私にはぴったりくるみたい。

普段よりゆっくり深く呼吸していると、体の芯に効いてくる感じです。

相変わらず、休息のポーズのときは必ず寝てしまうけど・・・。

先日のヨガのとき、

臨月の若い女性が来ていらっしゃるのですが、

もうすぐ出産予定日だというので、その方を含めてみんなで輪になり、

手をつないで人の輪をつくりました。

お母さんがお腹の赤ちゃんに心のなかで話しかけ、その思いを手から手へ送っていきます。

送られた人は、これから生まれる赤ちゃんと生み出そうとしているお母さんへの思いを心の中で感じて、となりの人に送ります。

そんなふうに思いは次々に人から人へと送られ、一巡してお母さんと赤ちゃんのところへ還ってきました。

今度は、さっきと反対まわりで、また人から人へ・・・。

ほとんど話もしたことがない人と隣同士で手をつないでいるだけなのに、

なんだか涙が滲んできました。

人って本来あたたかいのですね。

これから生まれ来る子どもたちが、どんな世界を生きていくのか。

考えると、大変だね?って思います。

安心して生まれておいでと言えるように、大人がしてあげなければいけないなー、とも思っていました。

子どもが生まれたとたん「おかあさん」と呼ばれるんだけど、

ついこの間まで身軽に飛んだり跳ねたり、泣いたり笑ったりしていた

女の子だったんだものね?。

母も子もともに、いろんな人に助けてもらって少しずつ慣れて、親子になっていくんでしょうね。

かくいう私も危なっかしい母親だったでしょうね?。

ここまで見守ってくださったミナサマに感謝!!今度はわたくしめが・・・。

クリスマス

私はクリスチャンではないんですけど、

その昔友人に誘われて、しばらく聖書の読書会に行ってたことがあるんです。

「破れ寺」と自分でいう風変わりな牧師らしくない牧師さんが主宰なさってました。

讃美歌も説教もなく、聖書を読むためだけに集まった数人が、

思い思いに感想を述べるといういたって自由な読書会。

クリスチャンの方は珍しくて、

私のような小さい子どもづれの主婦、お勤めの方、

障がいをもった方、教師、

宗派はわかりませんが、僧侶の方とか小説家など

市民が対等に席をならべて自由にものがいえる貴重な場でした。

有名な学者さんも来られたことがあり、

ニューイングランドの片田舎の教会のようだとおっしゃったとか。

「でも、そのとき落ちかけた天井の下に座っていらしたんですよね?」

と牧師さんは笑ってました。

毎年、クリスマスに近い日曜日は、

そこでイエスが生まれたときの光景を読みます。

父親のわからない、あるいはわかっていたけれど、

夫の子どもではない子をみごもったマリア。

どんなにか不安とおそれと頼りなさでおろおろしてただろう。

想像すると胸が痛いです。

ヨセフはそのマリアを身ごもった子どもといっしょに

守っていこうと決めたんですね。

心からマリアを愛していたのでしょうね。

そんな包容力というか人間のキャパシティの大きい男性ってなかなかいるもんじゃないです。

全然地位もお金もない男性のなかにいることがあるんです。

世界のもっとも小さな片隅から、光が生まれてひろがってきた。

でも、それはやっぱり目立たないところにあって、

感じる人にだけ見えるんです。

その光は、貧しさや生きづらさのなかにあったり、

悲惨な状況のなかにあったりするけど、

見つけてもらいたがっているんです。

人が感じさえすれば、それはすぐ見つけられる。

感じさえすれば。

ぬれしもやしやもしれぬ

昨日は久しぶりに夜の飲み会に参加。

いつもと違う時間を過ごすのって、ストレス解消になりますね。

そういえば、子どもが小さい頃は、夜は寝かしつけの時間。

3人が3人とも目のカタイ子どもでした。

何度も絵本を読んだ後、壊れたプレーヤーみたいにおんなじ子守唄を

何度もくりかえしくりかえし・・・声がかれるほど歌い、

それでもだめならおんぶして外へ出てうろうろ・・・。

口の早い子など、背中で「おっちゅきさんきれ?ね?」と

寝るよりも楽しんでる始末。 (さらに…)

だれとでも・・・

子どもが学校へ行かなくなり、しばらくたつと

悩んでばかりいてもしょうがないので、

それなりに家で親子で落ち着いてきたりします。

だんだん担任の先生も、学校の先生という感じがしなくなってきて、

たまたまご縁のあった人という感じになってくるんですね。

子どもは、自ら行って見ようかなと思わないかぎり、

先生とはご縁がないので、これはいかんともしがたい。

だから、担任が変わるたびに、

子どもより私と気が合いそうかどうかが、大事になってきます。

司馬遼太郎のファンの先生とは幕末の志士や新撰組の話でもりあがりましたねー。

私も歴史小説が好きだったことありますから。

坂本龍馬が殺されるとき、龍馬は自分で死ぬ時期を選んだような気がするという自論をそのとき話しました。

映画の好きな先生のときは、先生の好きな映画に興味をひかれて、

ビデオを借りてきて見てから、次の面談のとき感想を言い合ったり・・・。

落語の好きな先生とは、お互い亡くなった桂 枝雀師匠のファンだったということがわかり、子どものことはそっちのけで落語の話ばかり。

先生は、そのときの話に触発されて、今は落語同好会に出入りしていらっしゃいます。

先日の家庭訪問では、落語を聞かせてくださいました。

なかなか上手でしたよ。

いつ高座にあがれるでしょうね。

そのときは、ぜひ見に行くつもり。

子どもが不登校になると、

先生とも、じかに「人」とつきあえて良い面もあります。

「ほんま、だれとでも仲良?なるんやなあー」

上の娘にあきれられてます。

それでも子どもはなんとかなっていくもんですね。

子どもって、おもしろいです。

長時間労働が少子化を招く

いつから、こんなに労働時間が長くなってしまったんだろう。

私が小学生の頃は、近所のお父さんたちは、結構早く帰っていたように思う。

うちの父親は、元祖脱サラなので、起業した会社の経営で四苦八苦してたから遅かったけれど、それでも早い日もあった。

みんないつからこんなに仕事しなくちゃいけなくなったんだろう。

子どもたちも、早くから塾やお稽古事に追われて、

家族同士のかかわりの時間がどんどんなくなっていく。

不登校にでもならなければ、親子でゆっくり時間をかけてかかわりあうこともできない。

今日、「子育てフォーラム」のイベントがあり、厚生労働省の方がいらっしゃっていた。

男性の労働時間と子どもを持つ予定の関係をみるアンケートで、

男性の労働時間が8時間以下の場合は、給料も少ないから子どもをつくれなくなる。

8?10時間の男性が一番子どもをもつ人が多くて、

10時間以上働いている男性の場合は、忙しすぎてまた子どもをつくらない人が多いらしい。

以前小児科医の集まりで「母親だけの子育ては人類始まって以来のできごと」と、おっしゃっていたが、

子育てがいかに精神的にも身体的にもきついかを知らない人たちが、

いろんな施策をつくっていくから、

現実にあわないことも多い。

本当は、稼ぐことも子育ても夫婦で力をあわせてやっていけたら一番いいんだろな。

両親が仕事をもち、かわりばんこに子どもの世話をしている国がうらやましい。

役割分担がきっちりされていると、おたがいに窮屈で不便で、追い詰められていくらしい。

今の日本の現状では、仕事をもつと子どもにかかる負担が大きすぎるので、

とくに子どもが病気したときのことを考えると、私は仕事を持つのがこわかった。

それまで、ひとりの社会人として自立していたつもりが、

子どもを生んだとたん、社会的弱者になったような気がした。

大人としゃべる時間が奪われ、毎日乳幼児の相手ばかりしていると

どんどん知能が低下していくようだった。

母親同士の会話は、子どもの話ばかり。

昔からの友人とは、子ども以外の話もできたので会話の飢えを解消できてよかった。

自活の道が閉ざされ、それまで培った専門知識やスキルなど、

なにも役に立たない世界に放り込まれる。

赤ちゃんを抱くのは、自分の子どもがはじめて、という母親がほとんど。

自信なんてふっとんでしまって無力感に襲われたりする。

赤ちゃんが寝ない子で、よくぐずる性質だと寝不足と重なって、

産後うつになる人もいるだろうと納得できる。

今の子育ては、20年前よりもっと大変になっている。

と言ったからといって、私は子どもが可愛くなかったわけじゃない。

可愛くてたまらなかった。

でも、慢性的に疲れて、つらくて、孤独でやりきれなかったのも覚えている。

斉藤学さんの本の中で

「・・・2?3歳辺りがとくにそうなのだが、幼児とは、モンスターであると同時に、麻薬嗜癖者にとってのアヘンのようなものである。彼らと24時間、365日接し続けると、どんな大人でもおかしくなる。母親なら大丈夫というものではない。・・・」と書かれているのを見て、(このセンセようわかってはるわ?!)と感心した。

いくら愛しいとはいえ、四六時中甲高い声で「おかーたん、おかーたん、おかーたん・・・・」と呼ばれ、「見て、見て、見て、見て・・・・・・」と注目を要求されていると、しばしこの声から逃れたいと思わないほうが不思議だろう。

ほんと、虐待もしないで、

よくみんながんばって辛抱強く子育てしてきたよね。

もし、男女の役割が逆転したら、

今よりもっと虐待死する子どもが増えるだろうと思う。

なんちゅうええ加減な・・・。

ここ、2,3日の間に急に山が色づいてきました。

紅葉の季節、この連休に市外から京都市内に入る道路は、いずこもひどい渋滞でした。

近所の道路を見ただけで、列に加わる勇気が萎えました。

うちのおっちゃんは、人ごみだいきらい。

渋滞に巻き込まれるくらいなら、どこまでも地道でも走ろうという人。

そもそも、観光地には縁がないのです。

私も、だれも知らない穴場みたいなところが好き。

でもそういうところって、何時間も歩かなくちゃいけなかったりするんです。

椅子に座ってくつろいで・・・なんて無理無理。

自分の楽しみのためには、難所もいとわない夫とちがって、

わたしはぐーたらして自然を楽しめるものならそれにこしたことはないという人間。

かくして、ここ何年も家族で遠方へ出かけたことありません。

ひたすらせまいリビングで棲み分けしてます。

PCやってるやつ、TVゲームやってるやつ、しゃべってるやつ、笑ってるやつ、料理してるやつ(私とはかぎらない)、

新聞読んでるやつ、つまらないオジサンギャグを連発してるやつ、

それを冷たく無視していながら

たまに思わずくすっと笑ってしまい「チクショー!笑っちゃったよー」と悔しがってるやつ、

負けじと下手なだじゃれをしぼりだすやつ、

その雑然とした空間でなぜかひとり数学の問題を解いているやつ・・・

だれが誰に向かってしゃべっているのか分からなくて、

とにかく私は飛び交う言葉すべてに答えている、いや答えようとしているのです。

「ううん、そうやなあ。いやちゃうやん。あはは。まあええやん。そないしょ。はははは。あ?あかんやん。どうでもよろし。あ、そうかあ。ほなそうしい。はあっははは・・・」

ときどき、だれかが言ってきます。

「なんちゅうええ加減な人や?」って。

「きいて?へんやろ」って。

はい、ごめん、そのとおりだす。

17才の涙

思春期のいつ果てるとも知れない

真っ暗闇の迷路の中を ずっとさ迷っていたんだね。

自ら入り込んだとはいえ

孤独でつらい作業を逃げも隠れもせず

傷だらけになりながら素手で掘り起こしていたなんて。

自分の気持ちをごまかさず

真正面から向き合って生きていこうとする背中に

無事でいて欲しいと手を合わせることしかできない。

どんな自分にも責任を持とうと自ら決めた

あなたの潔さ

苦悩の結晶のような雫に

言葉を失ってしまった。

あなたがこの世に誕生したそのときも

こんなふうに

光に満ちた静けさだったと思うよ。

またひとり子どもが・・・

いじめによる子どもの自殺があいつぎ、滅入っていたら、

3歳の子が虐待死してしまった。

つらいなあ?。

子どもにとって、厳しい環境はますますエスカレートしていくばかり。

ここ10年ほど続いていた自殺者数3万人以上が、今年に入ってから減少しつつあるらしい。

でも、今まで痛めつけられた大人もずいぶん多いはず。

ワーキングプアなんて言葉も出ている。

そんな世相と子どもの受難はリンクしています。 (さらに…)

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