福本早穂の教育心理カウンセリングオフィス、子どもと家庭の相談室こころのそえぎ 京都市山科

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こころのそえぎ日記(ブログ)

2010年

つづけていきたい!♪♪  ♪あんだんて♪

母親仲間と不登校支援のボランティア活動を始めて7年半が過ぎた。

2度の引越し、財政難もありながらよくつづくなあと自分でも不思議。

悩みを抱えて来て下さる方があるからつづけているのだけど・・・。

暗い顔して来られた方が、笑顔で帰られるのがうれしくて、それは楽しくやりがいがあるのだけど・・・。

「けど・・・」のあとに続くのが、財政の悩み。

先日の新聞にNPOの記事が載っていた。「志の搾取」って。そうそう、これだったんだなー。

うちにも、まだこれから教育費のかかる子どももいる。自分の老後もある。自分の仕事もしたい。

でも、この活動が必要とされていることは痛いほどわかるから、つづけていきたい。

つづけていきたい!と思う気持ちがどこから湧いてくるのか?これが不思議・・・。

「お役立ち感」がキーワードかな?それと「社会問題とつながる」。

そもそも自己肯定感の薄い人だったから、自分を認めるのに「お役立ち感」は具合がいい。とっても肯定された感じがする。

それと、「社会問題とつながる」。

どちらも両立しているんだよね。

それから、「いい人」に出会える機会が多い。感動する機会が多い。「人っておもしろい」としょっちゅう思える。

カウンセリングの勉強もおもしろい。(これには終わりがない。おそらく楽器演奏と同じで、やればやるほど熟練するが、やらなくなったら勘が鈍る。)

でも、カウンセラーに「お役立ち感」は危険信号なんだよね。

自分への気づき、怠りなく・・・。

で「いろいろあってなー」、結局「おっちゃん(夫)がんばって稼いでや〜」となる。いやあ、ありがたい。合掌

競争は必要なんだろうか?

ノーベル化学賞を受賞する根岸さんが、新聞のインタビュー記事で「人間の本当の力を引き出し、優秀な学生をさらに伸ばすには、何より競争が大事・・・」とおっしゃっていた。

「競争」にもいろいろあって、なにかを生み出す「競争」もあれば、すり減っていく「競争」もあるんじゃないかなあ。

主体的に自発的に「競争する」場合もあれば、追いつめられて「競争する」場合とでは、まったく違いますよね。後者は、「競争させられる」というほうが正しいでしょう。本人にその意識がなくても、やんわりとからめとられて、主体を見失っていくことも多いですからね。

根岸さんのおっしゃる「競争」は、研究すること、新しい発見、そういう営み、生活に充実感があってこその「競争」だと思うのです。

いじめの予防と解決

いじめの解決を本で読んだり、話を聞きにいったときの例を書いてみたいと思います。

・いじめがあると分かったクラスに相談員が休み時間に出向き、いじめについては話題にせず、いじめている側の子どもとかかわり、よく話をきくようにしていると、だんだんいじめがなくなっていった。

・教師の働きかけで、生徒会のように、子どもたち自身からいじめを許さないチームをつくり、クラスを巡回していくようになった。チームのメンバーがだんだん増えていった。

・担任が、いじめを察知してクラス全体に「知っていることを書いてほしい」と無記名で書かせた。だれがチクッたと分からないよう。 そのうえで、中心になっている子どもを呼び、「ほんとうのことを知りたいから協力してほしい」と話を聞いていった。すぐにはいじめはなくならなかったが、担当教科の社会の授業で難民について学習したのをきっかけに、クラスのみんなでカンパを送ろうという動きがでてきて、いじめが終息した。

・担当教科をもたない生徒指導、教育相談の教師が、毎朝学年の会議を生徒が通る廊下で始業前に行うよう提案。子どもたちが行き来する廊下でクラス担任同士が連絡、伝達しながら、子どもの様子も見え、合間に声かけするようにした。荒れていた学校が落ち着きを取り戻した。

などなど・・・もっといろいろな例や解決の方法があるのだと思います。

先生に時間的な余裕がある、相談員など教師以外のサポーターがいる、担任をもたないで教師同士をコーディネートする教師がいる、教師間でチームワークができている・・・・。など、いじめは担任ひとりで対応できる問題ではないことがうかがえます。

学校だけなく、家庭でも家が子どもの居場所になっているかどうかを振り返ってみないといけないでしょうね。

子どもが親に聞いてもらいたいことを、ちゃんと向き合ってきいているかどうか。

勉強しなさい、というだけで、ほかの勉強以外のことに無関心になっていないかどうか。

子どもが今なにに興味、関心があって、どう感じたり、考えたりしているのか。

親が子どもに「ご苦労さん」「ありがとう」など、ねぎらいや感謝をつたえているのかどうか?

・・・・・・・・書きながら、反省している私です。m(__)m

先生も、成績や問題行動だけでなく、子どものいいところ、おもしろい楽しい言動、子どもの感じ方考え方にも関心を寄せてくださいね。

そして、親に学校でのポジティブな子どもの姿を伝えてほしいと思います。親子が仲良くなるために。

いじめについて4

私の子どもの頃も、クラスの子どもたちが気の合う者同士でグループをつくり、いくつかのグループに分かれていることはありました。

2,3人の小グループから7,8人の大きなグループまでありましたが、今ほどその枠組みがしっかり分かれていなかったのです。外遊びが中心だったので、グループに関係なく、その場にいる子ども同士で遊んでいたからだと思います。

今の子どもたちは、生まれた時から車社会のもとで、時間、空間、仲間という3つの「間(ま)」が失われていると言われます。大人の目から離れて子ども同士で外で遊ぶ経験のないまま大きくなって行っています。このことがどんなにか、その後の子どもたちの人間関係に影響を及ぼしているかを小中高、大学生まで見ることができます。

グループの縛りが強く、他のグループの子と仲良くしたり、遊んだりしたら、「どうしてよそのグループの子と仲良くするのか」となじられたりはずされたりするので、自分のグループの人たちにいつも気を配って、はずれないように、はずされないようにしている感じです。だから、周囲から「あの子はどこのグループにも入れない子」とみられるのをとても恐れています。大学生の「便所めし」というのは、そういう延長かと思うのです。

中学時代に、クラスの中でたとえばボス的な存在とみられている子どもは、先生や親にもそのように認識され、周囲から「そのように見られている自分」のイメージをこわさないように演じ切らなければならない、というふうにある大学生が述懐していました。 

ボス的な子どもとその周りにいる子どもたちに便利に使われるようなパシリといわれる役回りの子どももいます。 

クラスの中のどのグループにいて、どういう位置にいるか、それをなんとなく察知して、周囲から「そのように見られている自分」を演じている子どもが増えているようです。

自分がどんな人間なのかを探していく時期、エリクソンのいう「自己同一性(アイデンティティ)の確立」に向かわなければならない思春期に、自分を出せずに毎日暮らさなければならないとしたら、自分が分からなくなってしまわないかと危惧します。

 

みんなが周囲の目を気にしながら過ごしているクラスの中で、先生には仲良しと見えている友だち同士が、実は見捨てられ不安をもつ子どもが、相手の子どもを離すまいと策を弄した言動で縛っていることもあるのです。巻き込まれてくたくたになってしまった子どもが、学校に行きづらくなっても、先生にも親にもなかなか分かってもらえない、という場合もあります。

こどもが不登校になったら・・・(追加)

不登校支援の活動を始めてまもなくの頃、心理臨床の大学教授の話がたいへん参考になりました。

それから8年活動をつづけていますが、その先生のおっしゃっていたことと同じ見解だなと思うので、まとめてみます。

心がしんどい時、体の調子悪い時、人は「寝る」。心のしんどさは目に見えないので、理解されない。だが、健康な人が寝続けていることはできない。「調子悪い時、ほうっといてくれる」ことが大事。(そっと見守っていてくれていると感じるような関係)

寝ているとき、食べているとき、トイレ・・・・これは禁止できない。節制しない。 ほうっておいたらどうなるのかと親は心配するが、生体のリズムを信じて、心がしんどいときは「治療(ケア)」に意識を向ける。「教育」は健康なときにする。(不登校初期の葛藤期は、子どもは落ち込みがひどく、ケアが必要だと分かりますが、安定期に入って平穏な日々がつづくと、親も迷います。「学校」に関する話題は「ケア」に意識を向けて、そのほかの話題や場面では徐々に「教育」にシフトしていってもいいと思います。線引きがなかなか難しいですが、子どもの表情を見ながら、意識するといいと思います。)

「不登校」になって、子どもは今までとちがう生き方を始めた。母親の強大な影響力に抵抗できるようになった。家の中、とくに子どもの部屋だけは安心していられるように保障してやる。(反抗期のない「よい子」が不登校になるという説もありますが、子どもの性格、パーソナリティに決まったタイプがあるわけではありません。「不登校」は大きな反抗期ともいえるかもしれません。「反抗期」という表現自体を私は好みません。「独立期」と言ったほうがふさわしいと思っています。)

体内リズムは本来は25時間なので、昼夜逆転してくる。不登校の子供にとって、昼間は現実の生活が動いている時間なので、不安になる。夜は安心できるので、自分のことができる。(朝、周囲が会社や学校へ行く準備をしてあわただしいときに起きているのは、学校へ行けないこどもにとってつらい時間帯です。無意識にその時間帯をずらして起きるようになる子どもが多いのです。昼夜逆転を心配しないで、心身を癒しているとみてあげてください。)

子どもの心の中はぐちゃぐちゃに混乱しているので、予想が難しい。が、一歩先のプロセスを見てくれる人がいるといい。しかし、家族、子どもを熟知していないと予測できない。たとえば、急に部屋を片づけ出したとき、心の整理がついたとみるか、あるいは家族にあきらめて死ぬ時もある。(多くの不登校の事例を知っているカウンセラー、小児科医、親の会などにつながってください。親の会では多くの先例を知ることができ、安心されると思います。)

子どもが聞きにくるまで、親はいろんな情報を集めておく。(しんどいときは、情報を与えてもプレッシャーになり、受け入れられません。エネルギーが回復してくると、子どものほうから「たいくつやー」「なにかすることない?」「塾にいってみようかなあ」などつぶやくことがあります。ダメもとでそんなとき情報を与えてあげられるよういくつか持っておくといいですね。親の会に行っていると、そういう情報も入ってきます。)

子どもがどういう子どもなのかを知る。(案外子どもの感じ方、考え方など親は知らないのです。家にいるようになって、長く一緒にうごすようになると、子どものいろんな考えや感じ方が分かるようになります。学校へ行っていないのに・・・と否定せず、話を興味をもってきいてあげてください。子どもの内的な世界を知るチャンスです。ときどき、こんな深いこと考えていたのか。と感動することもあります。)

子どもが自分なりになんとかしたいと思っているとき、それを親に言ってくれるような関係を作っておく。

ご飯のときに、メッセージをこめる。子どもが喜ぶものを出す。

女の子だと身につけるものを(ちょっとした喜ぶもの)買ってあげる。

いじめ

いじめられていることを親に言うのは、こどものプライドにかかわること。親に隠したいという想いをクリアして子どもが親に言えた時、「あなたは私の大事な宝物だから、いじめられると私は耐えられない」というメッセージを伝える。

親が子どもに聞き取りができる関係づくりができている場合、事情を知った親は助けたいと動くが、先生に言っても、いじめっ子を叱っても、解決にならない。母親はネットワークをつくり、実際に対処してきた人とつながるといい。(PTAの役員をしていたり、子どもを小さいころから知っている近所づきあいがある場合は、ネットワークがつくれますが、下に小さい子どもがいたり、老親の介護で外に出にくい。あるいは共働きで近所づきあいから遠ざかっているなど、いざ親同士のつながりをつくろうと思っても、できない親も多いです。)

学校とのかかわり

先生は千差万別なので、ヘルプしてくれそうな先生を親が見つけて相談していく。(担任の先生が話しやすく理解してくれるなら、大変助かりますが、担任とうまくいかないときは、養護の先生、学年主任、教頭先生、ときには校長先生が理解をしてくださるときもあります。親を支えてくれる先生を見つけてください。)

学校といい関係をつくるのは大変だけどやってみる。先生と仲良くなって一緒に考えてもらう。先生を頼りにして何回かアプローチしてみる。もし、先生が子どもにとって負担になっているならば、親が子どもと先生の間をとりもつ「メッセンジャー」になる。(「親は電話線になりなさい」とおっしゃったカウンセラーがいました。親の感情をいれず「先生がこういってはったよ」と子どもに。先生には「子どもはこう言っています」と。でも、実際には子どもが応えられなかったり、そのまま先生に伝えると過激になったりすることも多いですので、「親としてはこう思っているのですが、今こどもは・・・・」という風に先生に伝えたらいいと思います。)

 つづく

不登校は治すもの?

不登校は学校へ行っていないという状態像であって、病気ではありません。

学校へ行こうとすると、身体症状がでますが、行かなくてもよくなれば、症状は消えて普通に過ごせます。

だから、ある児童精神科医がおっしゃったとおり、「病気かというと病気ではない」のです。しかし、「健康かというと健康でもない」。その子どもは「今、学校へ行くことに非常に疲れている」のであり、「だから休まなければならない」のです。

この状態を、・・・「臨界点」に達したとき

と表現しようとして、本来の意味はどういうものかと思ってネットで見てみました。超文系(?)の私には理解しづらいですが、これを心の中で起きていることと考えると不登校になる状態をよく表していると思います。

 

「臨界温度→気体がそれ以上の温度ではいくら圧縮しても液化しなくなるときの限界の温度。

臨界圧力→臨界温度のもとで気体を液化するのに要する圧力。臨界圧。」

これを言いかえると、

「臨界温度→気体がそれ以下の温度では圧縮すれば液化する限界の温度。
臨界圧力→臨界温度のもとで気体を液化するのに要する圧力。臨界圧。」

または、

「気液が共存できる限界が臨界点でそのときの温度、圧力がそれぞれ臨界圧力と臨界温度です。」

そして

「臨界温度と臨界圧力ともに達したらですが、臨界状態になります。
相図を単純に眺めると、気体、液体、超臨界流体が共存しているように見えますが
そうではなく、少し特殊な状態です。」

 

行き渋りの状態は、疲れが臨界に達する前に温度を下げようとして家で休み、少しエネルギー源(液体)がたまってきたらまた登校できるのですが、学校へ行くと緊張して温度が上がります。→くたくたに疲れて帰ってくる。(家で温度が下がる)→2,3日〜1週間ほど登校するとまた臨界に近づき・・・・。これを繰り返すうちにだんだん温度が下がりにくくなり、とうとう臨界状態に達します。これがまったく学校へ行けなくなってしまった状態ではないかと思います。

臨界点に達してもまだ学校へ行かせようとすると、つまり温度が上がりきっているのになお圧力をくわえようとすると、

「臨界温度と臨界圧力ともに超えて十分臨界領域を離れると、超臨界流体に」なるらしいのです。これが心の中で起こったとしたら大変なことじゃないかと思います。

「超臨界流体」がどんなものなのか、想像しにくいですが、気体でも液体でもないまったく別物になるらしいです。

 

臨界点に達して身体症状がでるようになってもまだ、登校圧力を加えると、苦しくて暴力が出てきたりします。あるいは自室に閉じこもったり、反対に家に帰らなくなったりします。

まだ液体が残っているうちに、休んだほうがあとの回復が早いのです。

 

 

 

 

 

 

いじめについて3・・・治外法権の教室

教師の目の届かないところで、いつのまにかクラスの中心グループができ、パワーのある子がいじめを指揮するようになることがあります。

社会一般のルールや人間関係の規範ではなく、その中心人物がそのクラスのルールであり、規範になってしまうのです。

その子が気に入らない子どもが、順番に標的になっていきます。昨日まで親しくつきあっていた友だちが急によそよそしくなることもあります。いじめていたグループの子どもがいじめられたり、ということも聞きます。

いじめはいじめる側といじめられる子ども、それを黙ってみている傍観者という分類をされますが、「クラスのルール」に従わないと、翌日には自分が標的になるかもしれない空気のなかで、ルール破りはクラスの人間関係から排除されることを意味します。

いじめられている子と親しく口をきいただけでも、ルール違反とみなされるとしたら、だれも遠巻きにしてかかわろうとしないでしょう。

いじめを受けている子どもにとってみれば、クラスのひとたち全部が敵についてしまったと感じるのです。

そう思うと、なんと絶望的な孤独でしょうか。

先生や親に知れると、「ちくった」というので、ますますいじめがひどくなる例は少なくありません。

いじめについて2

小中学校の子どもをもつ親御さんから耳にする話から想像するしかないのですが、今の学校の様子ではいじめられる子はもちろん、いじめている子も傷ついているのではないかと思います。

いつ誰がいじめに逢うか分からない緊張感が充満しているクラスの中で、自分がいじめられないためにだれかをいじめる子もいるのです。いじめをやめたら、つぎは自分が標的になるかもしれなくて、やめたくてもやめられない子もいるでしょう。自分がだんだん嫌な人間になっていくようで、いらいらしたり、腹立たしくなったり、悲しくなったりしているかもしれません。

自分がいじめられていなくても、「やめよう」と言えなくて、そんな自分が情けなくてつらくなる子もいます。

傍観者の子どもたちに「勇気を出していじめをやめるように言おう」と大人はそれこそ傍観者の立場で言いますが、実際に毎日いじめの起きている教室に行かなければならない子どもたちにとって、そこにいるだけで精いっぱいなのではないでしょうか?

だから、いじめられてつらくなった時はもちろん、いじめを傍観しているのがつらくなっている時も、いじめる側にまわらなくてはならなくなってつらくなった時も、一旦学校から離れていいのだよと、伝えてあげていただきたいのです。

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