福本早穂の教育心理カウンセリングオフィス、子どもと家庭の相談室こころのそえぎ 京都市山科

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不登校

8・・・真の学びのために

不登校を考えていくと今の日本の教育問題に発展してしまって、

そこへ行かざるを得ないというか・・・

そうするとちょっとお勉強もしないといけなくなって、

ええ、なかなか書けなかった言い訳です。はい。(笑)

中学生、高校生の問題は、大学入試の問題が大きいように思います。

試験の点数の高い順に、上から何人と取っていく方式がどこの国でも当たり前と私も思い込んできたんですが、大学の格差があまりなくて、大学入学資格があればくじ引きではいれるという国もあるそうです。大学まで無償でいける国もあって、それこそ教育の機会均等が実現されています。(デンマークとか)だから、高校卒業してすぐに大学へ行かなくても、自分が学びたいときに行けるのです。

 何のために大学へ行くのかという問題もありますが、会社に入ってからの待遇や昇進のシステムがちがうという日本の事情も大きいでしょう。

 近代日本が官主導の教育制度をつくってきたという歴史的背景もあって、昔なら今より一層出世の道筋にもなっていたのでしょう。地方の貧しい家庭の子どもが勉強好きで成績優秀で、周囲の助けを得て都会の中学へ行き、大学を卒業して高級官吏になるという出世ストーリーもありました。 今は、2世議員が増えていて問題視されていますが、3,40年前だと地方の貧農の三男、四男だったという大臣がいたのです。それは底辺の庶民の生活を知っていて、政治に反映される期待が持たれていたと思います。国政レベルで見たときにふるさとに錦を飾る意識が良かったかどうかは、疑問ですけどね。

 いずれにしろ大学進学がその後の人生に大きな格差をもたらす結果になるので、それは親だけでなく子どもの意識にも大きく反映しています。

でも、大学で学んだことが、その後の仕事に活かせる人はごくまれで、たとえば営業に行って相手先とキャンパスライフの話ができないと困るから、という理由で大卒でないと採りません。と人事担当者に言われた高校教師がいました。私はそれを聞いて、ビジネスの世界も世間話で成り立っているのかと妙な感心をしましたが。実際はどうなんでしょうね?バブルが崩壊してからなくなって来たみたいですが、クラブや飲み屋で商談が成立するなんて日常茶飯事だったようですね。今もそんな業界があるんでしょうか。

話をもどします。で、上から何人とるという大学の入試制度はそのまま高校の格差を生み出し、高校入試のための中学校の進学熱は高まり、進学率のいい中学に入るために小学校から進学塾に通うというふうに、どんどん競争が低年齢化して行っています。最近でも有名大学があいついで小学校を創設しており、もうその影響が出てきています。

その中で初めから関係ないわという無関心層(私かも)と、しっかり幼稚園や小学校から進学コースのレールに乗れるよう子どもを塾に通わせる層に分かれていて、その間の中間層はうろうろと揺れ動いたり、小さい時からレールを敷くことに抵抗があったり(かつての私かも?)、中には自分なりのしっかりした教育観をもっている方もいらっしゃるようです。

いつから今の受験のための教育が子どもの教育だと信じて疑わない社会になってしまったんでしょうか?

「上から何人取る」という入試のやりかたは、なにがいけないのかというと、受験生が上位何人中に入るためにとめどもなく受験勉強しなければならないのです。つまり、競争に勝つための勉強を何年もやらざるをえない。本来は大学や高校からすれば、そこで学ぶために必要な学力があれば十分なはずなのです。逆にそこまでの学力がなければ学力をつけてから来てくださいと言うべきです。学ぶ意志と授業についていける学力があれば、だれでも入学を許可するのが、本来の機会均等ではないかと思います。

ヨーロッパでは高校卒業資格や大学入学資格さえあれば、希望する大学へ入れる国が多いと聞きます。人数に無理があると、くじ引きや先着順にしたりしています。大学入学後も流動性があり、他の大学へ移ることも可能。でも入学後勉強しないと、卒業するのは難しいのです。

というのが本来あるべき高等教育だと思います。

受験勉強の弊害はいろいろあって、自主的な意味が見出せないまま、まだ頭も感性も柔らかい時期に「将来のために今はやりたいこと、好きなことも我慢して勉強しなければいい学校へ入れないよ」といわれて勉強しているうちに、本来の自分を見失ってしまうことだと思います。ずっと我慢しているうちに、自分の好きなこと、やりたいことがわからなくなってしまいます。職業適性という観点からみると、子どもは体を動かすことが好きな子、絵や色彩など視覚的センスのいい子、じっくりものごとを考える子、自然のものに興味のある子、人との交流や人間に興味のある子、ものを作ることが好きな子、・・・・などほんとに千差万別にそれぞれの特性を持っています。それが学校の教科習得に合致していれば「デキル子」として評価されますが、学校的な勉強に合わなければ、その子の特性が伸ばされないばかりか「できない子」の烙印を押されて、本人も自己評価が低かったり、自分の将来をあきらめてしまったりしてしまいます。特別にエネルギーがあって、自分で切り開いていく人もいるでしょうが、それはほんの一握りの人であって普通の人が普通にしあわせを感じて生きていけるには、という話です。

そうした受験のための教育社会がいかに学校を蝕んで、子どもの心を傷つけているか、学校現場のあれにつながっているか、昨今の少年犯罪にも影響しているか、というところに目を向けたいと思います。

つづく

7・・・真の学びのために

  前回、公教育以外の教育が認められれば数の上では「不登校」はなくなると言いましたが、実際に今の日本の現況で学校へ行けなくなったときはどうしようもなく悩み、落ち込んだり、荒れたり、親子で葛藤したりします。

 1992年に旧文部省の「学校不適応対策調査研究協力者会議」で不登校への対応の基本的視点のひとつとして「学校生活上の問題が起因して、登校拒否になってしまう場合がしばしばみられる」と報告されていますが、それから16年経った今でも、未だに家庭や親子関係、子どもの性格といったところに原因をみる論調がマスコミの主流になっています。

 たとえば、一時微減していた不登校の数が、(少子化にもかかわらず)また上昇している原因として、「いやがるのなら無理に行かせなくてもいいと考える親が増えたため」という記事がありました。その2年前にいじめ自殺があいつぎ、学校でのいじめが問題になっていた時期、「いじめられるくらいなら行かなくてもいいという親が増えた」とも報じられたことを思いだします。

 これら文科省の見解には、日々不登校に悩む相談に接していて、現状との大きなギャップを感じます。正しくは「(心身がこわれるほど)いやがるのなら無理に行かせなくてもいい」「(自殺するまで)いじめられるくらいなら行かなくてもいい」とまで思えないと、なかなか学校を行けなくなることを認められないのが大多数の親なのです。また、子ども本人も、自分の頑張りが足りないから行けなくなった、とか本当は行かないといけないのにどうして自分だけ行けないのだろうと、自分を情けなく思って非常に苦しんでいます、行けるならどんなにか楽だろうと思うくらいつらいのです。

 セーラー服の襟の前がぐっしょり濡れるまで泣き続けていた女子中学生、かちかちに体をこわばらせて玄関に立ち尽くしていた子ども、朝這うようにしてベッドから出てきた子、目に見えない壁があるように動けなくなってしまった小学2年生。腹痛、頭痛、吐き気、などいろんな身体症状を出して体が訴えています。

身体症状を出しても家で休めないと、荒れたり暴れたり暴力が出てきたりします。

家の居心地がいいから学校へ行かなくなるという人もいますが、学校へも家にも居られなくなると、元気のいい子どもは外泊をするようになりますが、大抵は自分の部屋から出なくなり閉じこもるようになります。

ある小学3年生の子どもは、お母さんが一生懸命付き添って学校へ行っていましたが、ある日路上で完全に動けなくなってしまって言ったそうです。「ぼく、学校へ行けない。家へも帰れない。ぼくはどこへ行ったらいいんだろう」

この言葉は、年齢の大きい小さいに関係なく、学校へ行けなくなった子どもが抱く思いを代弁していると思います。

一時学校環境から避難して休めないと動けないほど傷つき疲労してしまっているのに、それでも休めないとなると、人が(親も)信じられなくなり自分しか頼るものがなくなります。不登校から長期のひきこもりにいたる例には、学校へいけなくなって以来、親や担任など周囲の理解や支援がなく、ずっと責められ続けてきた人が多いのです。

これだけ学校に行けないことで苦しむのは、公教育以外の教育が認められていないので、日本人の横並び意識の強さを反映していて、「不登校」が恥ずかしいこととか、あってはならないことという意識が強いということと、高校進学に支障をきたすからではないかと思います。高校進学率は約98パーセントでほとんど義務教育の態様であり、高校卒の資格がなければ就職先が極端に狭まるばかりか、アルバイトも高校在籍でないと採用されにくい現況があります。

加えて、ずっと以前からその弊害が指摘されていて、そのために高校以下の教育がずべて受験が目的になってしまったのだけれど、大学入試制度の問題があります。

つづく

6 真の学びを求めて

学力および、不登校の問題を掘り下げていくと、教育制度の問題に行き着きます。

「不登校は作られている」というとおどろく人もいらっしゃると思います。

なぜ子どもたちが不登校になるのか、原因はさまざまに言われますが、ひと括りでいえば、戦後60年、日本社会は急激に変化しましたが、教育制度が追いつかないからだと思います。追いつかないというより、変える気がないといったほうがいいかもしれません。

 それは諸外国の教育制度をみるとよくわかります。たとえば、アメリカでは不登校はないと言われています。公教育に合わなくて行けなくなる子どもはいますが、それは不登校とは言いません。なぜならオルターナティブスクールやフリースクール、ホームスクーリングなど公教育以外の多種多様な教育が認められているからだそうです。ホームスクーリングだと社会性が育たないのではないかと懸念されている人もいますが、英米ではホームスクールで教育をしている人が20万人?100万人といいます。(複数の人からのまた聞きなので、いろんな数字に出会います。ともかく数十万人以上の単位です。)そして、ホームスクーリングをしている子どもたち同士で集まる会があり、公教育を選ばない家庭には、そういうグループを紹介してくれるそうです。

京都でホームスクーリングをしているある方は、子どもが学校に合わなくて行けなくなってから「不登校」してましたが、夫の海外転勤で何年かイギリスで暮らしたとき、ホームスクールを知ったと言います。日本へ帰ってからも、ホームスクーリングを続けていましたが、同じことをしていてもイギリスではひとつの教育方法と認められているのに、日本では「不登校」と言われ、いけないことをしているみたいに見られるのが心外だとおっしゃっていました。そこの子どもさんは、とても自立心に富んだすてきな青年になって、今は大学生です。

 他のヨーロッパ諸国でも、公立学校とはまったく違うタイプの私立学校を作ることが、法制的に保証されている国は多いのです。

 日本では、公教育である学校へ行けなくなると途端に、他に行くところがないので「不登校」という問題になります。

 

 日本にも私立学校はありますが、いずれも文部科学省の指導下にあり、たとえばシュタイナー教育やモンテッソーリ教育、フレネ、イエナ・プランなどさまざまな研究された教育方法を取り入れることはできません。

 1時間ごとに教科の変わる今のカリキュラムでは、ひとつの教科をじっくり時間をかけて取り組みたい子どものペースには合いません。その子には、現行の教育システムよりシュタイナー教育とかモンテッソーリ教育が合うのかもしれません。でも、今の日本の学校には教育システムの選択の自由がありません。その子は自分のペースに合わない環境のなかで、何とか適応できるようになるのを待つしかありません。小さい子どもほど、自分のペースを崩して周囲と合わせることが難しいのです。その間にその子の学習意欲が萎縮していないことを願うばかりです。

もし、どうしてもペースが合わず精神的なストレスが高じて不登校になったら、行けていない自責の念に苛まれながら親とバトルすることになるでしょう。そのうち、親が理解ある支援者に出会って、家でゆっくり過ごすことができるようになれば、その子の感受性は伸びていく可能性が大いにあります。

 とても想像力が豊かで、内的な洞察力が優れている小学校3年生の女の子がいましたが、学校の環境がその子の感性には合わないのです。絵を描いたり、文章を書いたりするのが好きな子どもさんなので、自分のイメージを追っていったり、膨らませたり、・・・・。そういう孤独な時間が必要な子どももいるのです。そんな子どもも成長して周囲に目が向くようになれば、合わせていけるようになりますが、それまでの時間をどう過ごしていけばいいのでしょう?

 

 公教育以外の学校が認められている国でも、他の学校を選ぶ人はだいたい1割だそうです。他の9割は公教育を選んでいるそうです。1割というと、日本の「不登校」の中学生が34人に一人ですから、それより多いのです。もし、今の学校に合わない子どもたちが、自分に合った教育を選べるなら、「不登校」はなくなることになりますね。単純な計算だけで言うと、ですが。

つづく

5、学力って何?2

今までに不登校を経験した子どもたちが、自分の望む程度に学力をつけて進学していく現状を書いてきましたが、高校を卒業したり大学に入学するまでに、人より時間がかかることは多いです。

 ある通信制高校に行っていた大学生は、高3になって周囲が受験勉強に熱くなってくるころ、その雰囲気に馴染めず学校からも一時遠ざかっていたのですが、卒業したとたん「やっと自分の進路を冷静に考えられるようになった」と言って、大学受験の予備校に通いだしました。

 中学時代不登校を経験したある大学生は、高校の指定校推薦で大学入学が決まったにもかかわらず、本当に自分の学びたいこととは違う気がすると断り、もう一年勉強しながら志望する専攻のある大学を探して入学しました。 (さらに…)

4学力ってなに?

橋下知事が、大阪府の学力テストの順位が全国でも最下位に近かったというので各教育委員会に公表を迫り、物議を醸しています。

それより前、2003年のPISA(OECD15歳の子どもたちの学習到達度調査)で急に順位が下がったことから、何かというと「学力」が問題視されています。

 「学力」ってそもそもなんなのでしょう?子どもが一人の大人として成長して、この社会で生きていくのに、どの程度の学力が必要なのでしょうか?

長年教員をしていて今はフリースクールを運営している方が、この社会で生きていくのに最低限必要な学力は、小学校3年くらいまであれば生きていけると、言っていました。

 それ以上の学力は、人生を豊かにするためにあるのだと。

義務教育までの学力があれば、自分で勉強していけるのですね。わからないことがあれば、自分で調べたり、人に訊いたりして解決できるようです。

 ある50代の男性は、さかのぼる事40年前の高1の夏休み明けから学校に行かなくなりましたから、義務教育までの学力はついていたと考えられます。だから、まったく専門的知識のない状態から通信教育のテキストを読み、図書館に通い、国家資格試験のための受験勉強をしていましたから、義務教育までの学力があれば時間はかかるけれども、大抵のことは理解したり、必要に迫られれば間に合うのだなあと感じ入った覚えがあります。その後の仕事も、英語の書類が必要なときは、辞書を引き引き契約書など作っているから、これも義務教育ってすごいなあと思うのです。(ちゃんと身につけられれば)

 ここまでの話から、個人が生きていくための「学力」、より生きやすくなったり、心豊かに生きていくための「学力」について論じるのと、橋下知事や文部科学相のいう「学力」とは視座がまったく違うことに気づいてくださったことと思います。

 15歳の子どもたちの学力の順位が下がることは、国家の衰退につながるから大騒ぎしているのでしょうか?そうすると国際競争に負けて、もっと日本は暮らしにくくなるのでしょうか?

 不登校の子どもたちを見ていると、学校に行っていない間に、もし試験を受けたら最下位に近いと思います。何年かたって学校的な勉強をしだしてから試験を受けたらぐんと上位ではないかと思います。PISAの場合、一応15歳で区切っておかなければ比較できないから仕方がないんでしょうが、一人の子どもが生きていくためには、ある年齢で区切らなくても、自立するまでに生きていける学力がついていればいいわけです。

 私には単に国家同士の順位争いに負けたから、躍起になっているとしか思えないのです。

それが、今度は国内で学力テストを導入し、府県レベルの競争になっているのだと思うのです。

 全体の学力を上げようと思えば、子どもに競争させるより、たとえば大阪府は生活保護世帯が全国でも多いほうだから、親の支援をしていくと子どもは落ち着いて学校で勉強できるので、学力の底上げができると思うのです。東大の本田由紀さんもおっしゃってましたよ。底辺の子どもにていねいに手をかければ、学力の平均点は伸びるって。

それに公教育というのだったら、全員に生きていくのに必要な学力保障をしてしかるべきなのでは?勉強どころではない家庭環境の子どもにも支援の手がとどくようなシステムと人手を用意してほしいですね。

 それから、聴くことを仕事にしているから言うわけじゃないですが、人手が増えるということは、子どもの話を聴いてくれる人がいるということ。この意義と効果は、考える以上に大きいと思います。学力を伸ばすには、授業時間を増やすより、こちらのほうがきっと効果があがりますよ。だれか試してみてくださいなー。

 上から詰め込むより、自分の興味、関心から、あるいは必要を感じて勉強したほうが学力は身につきます。このことは、不登校の子どもを見ていて、何度も身につまされます。

つづく

3、学力は取り戻せる?

 学校へ行けなくなり休みが重なるにつれて、学校の勉強から遅れていきます。今は小学生でも3日も休めば、授業についていけなくなると言われているくらい過密スケジュールだと聞きます。それこそ1週間、1ヶ月、1学期と休めば、この先どんどん同年代との差が開いてどうなるのかと絶望的な気持ちになるのもわかります。

 この差を1年、2年の期間で考えると確かに大きく遅れているのですが、何年ものレンジで見ると、結局同年代と比べて決して遜色ないどころか、難関といわれる大学に合格している人も多く見られます。 (さらに…)

2、昼夜逆転のその後

 

昼夜逆転のその後

 これまでに、学校へ行けなくなった子どもたちが色々な理由で

昼夜逆転することが多い現状はわかっていただけたかと思います。

 では、長期間昼夜逆転していた子どもたちが、どんなふうに夜寝て朝起きる「普通の生活」に戻っていくのか、心配されている親御さんは多いと思います。

 家である程度精神的に安定して過ごせるようになると、自分の好きなこと、やりたいことを時間をかけてできるようになります。(意識して好きとか、やりたいと感じなくても、気がついたらいつもこれをやっているな、ということでいいと思うのです。)

家族とのコミュニケーションも、学校や将来のことに触れない会話であれば、普通にできるようになってきます。

そうなると、ずっとひとりでひきこもっていた子どもが、家族と一緒なら食事や買い物に出かけられるようになります。

安心できる関係の人(学校内の保健室や別室、図書室など、適応指導教室、フリースクール、塾、お稽古の教室、医療、相談機関などで自分をわかってくれていると感じられる人)に会うために出かけられるようになります。

自分のほしいゲームソフトを買いに行くために、一人でも出て行けるようになります。

ネット上で仲良くなった人に会うために、ずっと引きこもっていた子が、いきなり遠くへ電車に乗って出かけることもあります。

そんなふうに、出かけるようになると、約束の時間に間にあわせて起きなければなりません。それが、午前4時、5時だろうと行きたいと思えば、そして充分心が休めてエネルギーが充電できていれば、起きて行けるようになります。

高校生くらいになると、学校へは行けないがバイトなら行けるという子どもさんもいます。学校には自分の居場所がなくても、バイトならその子を必要としているので安心してそこに居ていいのだと思えるのでしょう。

出かける日が多くなると、必然的に朝起きる日が多くなります。

ただ、中学時代に不登校で高校から毎日通わなければならない、といった状況の場合、夜起きている体のリズムからいきなり転換しにくいので、ときどき学校へ行けない日が出てきます。遠方の電車通学の場合は、混雑する人の中がニガテだったりするので、なおさら休日が必要です。出席日数を数えながら、休みをとって調子を整えてまた出かける、というコントロールが必要なこともあります。そのペースを自分なりに掴めるまで、焦ったり不安になったり落ち込んだりしながら、これ以上無理したらいけない、ここら辺で少し休みをいれておかないと後が続かない、など調子がわかるようになってきます。

 中には、中学卒業までにしっかり休めて充電できている子どもさんで、高校が自分に合っていると、何年も昼夜逆転していたのがうそのように、いきなり毎日朝早く出て夜まで学校に居るという生活をすることもあります。

 それぞれの成長のペースがあるので、毎日行けるようになった方がえらいという訳ではありません。

 親、教師は学校に行っているかどうかが最大の関心事になりますが、子どもにとっては毎日をどのように過ごしているか、だれとどんなかかわりを持ったか、今日はどんな思いをしたか、なにをしたのか、どんなストレスを感じたのか、等の方が大事なのです。

 子どもが長い間昼夜逆転していたとき、私は「3交代制勤務の仕事につけそうだな」と思ったものでした。夜勤のある仕事って病院、介護施設など、そのほかにもいろいろあるのではないでしょうか?誰もがみんな毎日、夜寝て朝起きる生活をしているわけではありません。でも、学校へ行けてないと、これが原因と悪玉にされてしまいます。

 昼夜逆転のよさも見直して、子どもが動き出すまで小さな成長を喜びながら見守っていきましょうよ。

次回は、「学力って取り戻せるの?」

1・・・昼夜逆転

今年8月京都で開催された「不登校・登校拒否を考える全国のつどい」に、全国から悩める親御さんが来ていました。

 そこで出会った親御さんたちの話から、全国どこでも子どもが不登校になったとき、同じような問題で悩んでいることがわかりました。

 そこで、京都・山科を活動拠点にしている「親子支援ネットワーク♪あんだんて♪」からみえる不登校の子どもたちが元気になっていく姿は、どなたにでも参考にしていただけるのではないかと思い、長年多くの子どもを見てきた経験から「○○であっても大丈夫」のメッセージを送りたくて「不登校を考える」シリーズを書いていくことにしました。

今日は、昼夜逆転について

 学校へ行けなくなり、家で過ごす時間が長くなるにつれて、夜なかなか眠れず、朝は逆に起きられなくなる子どもさんが多いです。

 小学生の間は、まだ親の意向で朝起きていられる子どもさんもいますが、思春期になると大抵の子どもさんが朝起きられなくなり、昼ごろ起きるようになります。(この辺りにも、子どもの親離れがうかがえます。つまり成長の証。)

 その理由として、

 朝はみんなが学校や会社に行くので、周囲のざわめきがつらく感じる。学校へ行けない自分を意識させられる。

親が今日は行くのではないかとなんとなく期待して見ている目を感じてしんどくなる。

 夜は、明日は学校へ行かなければと思うと、なかなか眠れなくなる。

夜、悩むことが多く、寝つかれない。

など、色々な葛藤があり、自然に昼夜逆転していきます。

それなりに、不登校の生活が家庭で安定して過ごせるようになると、家の中でたった一人で起きている時間が、落ち着いて好きなこと、やりたいことができる貴重な時間になります。

ゲームやPCに熱中していることもあるでしょう。

絵が好きで、静かな夜に集中して描いていることもあります。

好きな本を思いっきり好きなだけ読むことができます。

深夜ラジオで新しいカルチャーに接することもあるでしょう。

自分のこと、親のこと、学校のこと、などなど深く考えていることもあるでしょう。

言えるのは、昼夜逆転を否定して、夜寝るようにしなければと焦って努力しているうちは、なかなかしんどさから開放されず、エネルギーが充電できないのです。

私自身の子どもが不登校だったとき、成長期に何年も昼夜逆転していれば、ホルモンのバランスも崩れるのではないかと心配もしましたが、

自責の念が強かったり、不安や焦りが強いとき、精神的な安定のためには、体の要求のままに起きたいときに起きて、眠たくなったら寝るという生活が一番安定し、親子のコミュニケーションもよくなります。

不登校を知らない人から見れば、なんとだらしのない生活だろうと思うでしょう。

親ははじめうちは、そんなわが子を見ているのもつらいので、一生懸命に朝起こしますが、

起こす方も大変なら、起こされるほうも不安定になり、どんどんしんどくなります。

それで、いつか朝起きて夜寝るという普通の生活に戻れるのだろうか?と心配されて当然だと思います。結論を言えば、戻ります。どんなふうに戻るかは、次回にお話しますね。

 カウンセラーでも、昼夜逆転を治さないと学校へいけるようにならないから、まず朝起きられるようにと、生活改善を指導される方もいます。

 でも、不登校というのは、学校へ行くことを体が拒否しているから行けない、つまり潜在意識が行きたくないと言っているので、原因と結果を取り違えているのではないかと思います。心理を学んだ人がどうしてそんな誤解をするのでしょう。

 学校へ行けなくなる子どもは、それまでにも生活が乱れていたから不登校になったと思われているのかもしれません。親のしつけに原因があると見られているのでしょう。そして、そういう方にカウンセリングされると、親御さんはとても傷ついてしまいます。

 百マス計算で有名な陰山先生は、早寝早起き・朝食を食べる子どもは学力が高いというデータを出しておられて、不登校の増える背景にも幼少期からの生活習慣の影響が考えられると言っておられましたが、それには大きな?がつきます。

 確かに、乳幼児を父親といっしょにお風呂に入れたいと思えば、今の長時間労働の父親を待っていたら、夜遅くまで起こしていることになります。父親とのスキンシップを大切にしたい、しかも子どもを早めに寝かせたいとなると、企業に長時間労働を改めてもらうしかありません。その点では、陰山先生のご意見を支持したいですが、その問題と不登校を結ぶつけるのは違うように思います。

 

 なぜなら私が今まで出会ったほとんどの子どもたちは、陰山先生のおっしゃるような安定した生活習慣で育ち、学校に行っていた間、学力が高い子どもたちだからです。

 逆にそういう子どもたちがどうして学校へ行けなくなり、こんなにも苦しむのか尋ねてみたい気がします。

つづく

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