福本早穂の教育心理カウンセリングオフィス、子どもと家庭の相談室こころのそえぎ 京都市山科

こころのそえぎ

子どもと家庭の相談室へようこそ

不登校

全国のつどい

私は、中学の分科会会場に張り付いていたけれど、

他の会場や催しもとにかくスケールが大きいので、その場にいなくても、

人の気の集まり、うねりを感じた。

小中学校の不登校の生徒数は、12万9000人以上という。

中学生の34人に一人が不登校。

それでもなお、文科省は「いやなら行かなくてもいいと考える親が増えたため」という。

不登校の原因を個人の資質や家庭だけに認める姿勢は20年前から変わらない。

むしろ92年の文部省協力者会議で言われた、学校環境も原因であるとする論調から、逆行しているようだ。

私の知るかぎり、そんなに簡単に行かなくてもいいと思える親はいない。

10年以上前と相も変わらず、親は心底悩み、なんとかして行かせようと苦慮している。

「うちの子だけが」と思う気持ちも、「自分の育て方に問題があったのか」と自分を責める思いも、かつてと変わらない。そして、学校からは他の不登校の子どもについて、なにも情報が入ってこないということも。かくして子どもも親も傷つき、傷つけあい、暗い顔をしてバトルをくり返す。

ひところよりむちゃくちゃに無理をさせることはなくなったようだが、

それでも子どもは子どもなりに、親は親として、子どもが学校へ行けない状態であるとうけとめ、家に落ち着いていられるようになるまでには、何ヶ月、いや場合によっては何年もかかるのだ。

80年代、90年代初めまでのように、

布団を剥ぎ、あたまや顔を叩いて起こしてまで行かせようとすることは少なくなってきたようだ。

車にのせて、嫌がる子を引き摺り下ろしたり、無理な登校を強制した結果、

後に深刻な精神障害を引き起こしている例も少なからずある。

高年齢のひきこもり世代の中で、

不登校になったとき、周囲の対応によってずいぶんひどい目にあい、対人恐怖になってしまった人も多いのではないだろうか。

不登校からそのまま長期の引きこもりになるのは、

親や周囲の人から責められ、精神的に不安的な状態に長期間おかれたことによるものが大きいだろう。

なまけや甘えと捉える周囲の目が、学校へ行けなくなった子を余計に外へ出にくくさせる。

しかし、何年かを学校以外のところや、家を安心できる居場所にして過ごしながら、

さなぎのように、子どもたちは自己の内面を豊かに成長させている。

親も学校のものさしによらないで、わが子の成長を自分の皮膚感覚で感じることができれば、子どもの一番の理解者になれる。

しんどい子ども、輝いていない子ども、それもまるごとの子ども自身だと受けとめ、いつかその子らしいかがやきを見せる日まで、子どもを信じて、子どもの不安や焦り、小さな喜び、楽しみを語る時間につきあってあげてほしい。

「今のオマエじゃそんなことは無理だよ」「それより先に、学校へ行こうよ」「学校に行ってなくて、なにが・・」とは言わないで、語れる夢があるのはすばらしいと楽しんで聴いてあげたい。夢に近づくにはどうしたらいいか、いっしょに調べてみることも子どもの意欲をそそることであり、子どもは元気になっていく。

外に出にくいから、身近な家族に、特に母親にどんどん語る子どもが多い。

事情があって、母親が受けとめる時間的精神的余裕がないときは、相談員やカウンセラー、フリースクールのサポーターや保健室の養護教諭など、話を聞いてくれる人をみつけて、いっぱい話をしていく。

 話すだけ話すとエネルギーが充電できるのか、そのうちに親からの刺激やなにかのきっかけで自ら外へ動き出す。

「ただ、聴いてほしかった」と幾人もの子どもが言っていた。

親や周囲の大人が、なんとかしてあげなければと思う必要はないのだ。人に話すことによって、自分で解決の方法を見つける。それが自ずと自立へとつながる。

子どもは親の思い通りには育たない。学校のスケジュールのように育たない。マニュアルのように育たないのだ。子どもはその子の持ち味、特性、資質に沿って伸びていく。だんだんその子らしさがはっきりしてくるのがおもしろい。これが本来の自分とわかってくるのがおもしろい。

家族療法の講座・・・SFA(ソルーション・フォーカスト・アプローチ

未来志向アプローチ

従来の心理療法は「過去」を扱う。あるいは「現在」を扱うが、SFAは、「未来」をつくる。

1、 「未来」における期待を高める。(ただし、うまくやれば・・・)

未来に期待をもつと、変化を受け入れやすい。

われわれは、どんなふうに未来を考えるかによって自由に「未来」をつくれるはず。

だけど、

今の縛り、枠組みからなかなか離れられない。

では、どうやってその縛りを解き、枠組みを外すのか?・・・が、大きなポイントになる。 (さらに…)

7月28日高垣頌子(のぶこ)さんをお迎えして

7月28日(土)13:30?

京都市内の中学校でスクールカウンセラーをしていらっしゃる高垣先生を

お招きして、

今の思春期の子ども達の様子をお聞きしたいと思っています。

学校での子どもの生きづらさから、

子どもたちの家庭で、親たちが

どんなことで子育てに苦労しているかも見えてきます。

そこから今の社会の問題もみえてきます。

新聞の社会面では、耳目を集めるだけの事件報道しかされませんが、

その背後にひろがる問題を見ていかなければならないと思います。 (さらに…)

だれとでも・・・

子どもが学校へ行かなくなり、しばらくたつと

悩んでばかりいてもしょうがないので、

それなりに家で親子で落ち着いてきたりします。

だんだん担任の先生も、学校の先生という感じがしなくなってきて、

たまたまご縁のあった人という感じになってくるんですね。

子どもは、自ら行って見ようかなと思わないかぎり、

先生とはご縁がないので、これはいかんともしがたい。

だから、担任が変わるたびに、

子どもより私と気が合いそうかどうかが、大事になってきます。

司馬遼太郎のファンの先生とは幕末の志士や新撰組の話でもりあがりましたねー。

私も歴史小説が好きだったことありますから。

坂本龍馬が殺されるとき、龍馬は自分で死ぬ時期を選んだような気がするという自論をそのとき話しました。

映画の好きな先生のときは、先生の好きな映画に興味をひかれて、

ビデオを借りてきて見てから、次の面談のとき感想を言い合ったり・・・。

落語の好きな先生とは、お互い亡くなった桂 枝雀師匠のファンだったということがわかり、子どものことはそっちのけで落語の話ばかり。

先生は、そのときの話に触発されて、今は落語同好会に出入りしていらっしゃいます。

先日の家庭訪問では、落語を聞かせてくださいました。

なかなか上手でしたよ。

いつ高座にあがれるでしょうね。

そのときは、ぜひ見に行くつもり。

子どもが不登校になると、

先生とも、じかに「人」とつきあえて良い面もあります。

「ほんま、だれとでも仲良?なるんやなあー」

上の娘にあきれられてます。

それでも子どもはなんとかなっていくもんですね。

子どもって、おもしろいです。

小鳥のように

今日も下の娘が、「行って来ます」と小走りにドアを出て行った。

中学3年間、ほとんど学校に行ってなかった子が、

今は毎日朝から夜遅くまで予備校に行っている。

ずっと家で育っていったあいだに、何かが醸成していったんだろうな。

家族が寝静まった夜中に、一人起きて何をしていたのだろう?

漠とした不安はあったんだろうけど、自分の気持ちのおもむくまま、

絵を描いたり、本を読んだり、ゲームをしたり、料理やお菓子づくりをしたり。

たいていの中学生が塾に行っている時間に、あの子の内面ではなにが育って行ったんだろう? (さらに…)

[不登校]不登校シンポジウム「親子でふりかえる 不登校」

7月23日、親子支援ネットワーク♪あんだんて♪の3周年記念イベントとして、

「親子で振り返る不登校の経験」

を開催しました。

 以前から英米の「ホームスクーリング」は聞いていて、学校以外で子どもが教育を受け、成長していくことが公的に認められたら、

学校へ行けない子どもも親もすいぶん助かるのになあ、と思っていました。 (さらに…)

11 / 11« 先頭...7891011

ページトップへ上矢印

Get Adobe Flash player