福本早穂の教育心理カウンセリングオフィス、子どもと家庭の相談室こころのそえぎ 京都市山科

こころのそえぎ

子どもと家庭の相談室へようこそ

こころのそえぎ日記(ブログ)

語り合いと寄付を

あまりの惨事に気持ちがふさいでしまっていました。

被災地に身内の方や御親戚、友人知人のいる方もいらっしゃるでしょう。

御心配でいてもたってもいられないことと思います。

私は千葉と東京に友人がいますが、心身は無事と聞き、安堵しました。

こちらにいても、不安になったり心が痛かったりします。その思いを溜めこむより、人と話すことで放していくことも必要かと思います。

語り合う中から、本当に必要とされている支援につながるのではないかとも思います。

今は、ボランティアも受け付けられる現状ではないと聴きます。

節電も関西からは送電量が限られているので、普段以上のことはできないとか。

気持ちを届けたいなら、信頼できる受け入れ機関を選んで、できる範囲での寄付金が今のところ最善でしょうね。

ネットからの寄付は苦手なので、昨日郵便局に行ってきました。

 

 

思わず涙が

ボランティアのお手伝いに来てくださるAさんの息子さんは、今年定時制高校を卒業された。

4年間、夜に通学して勉強するのは、やはりよほど意思が強くないとつづかないだろう。それだけに卒業式には子どもも親も万感の思いをいっぱいにして臨んでいることだと思う。

中高年のクラスメートもいるから、もちろん制服などなく(70のおばあさんがセーラー服というのもねえ〜・(*^_^*))紋付き袴で堂々と決めてるおじいさんもいて、卒業式に厳粛な雰囲気がしていい感じだったらしい。

ひとりひとり名を呼ばれ、壇上にあがって卒業証書をもらうやり方がほとんだと思うが、一人のやんちゃ系の男子生徒のところで、しばらく流れが止まってしまったとか。Aさんはきちんとしたい性格。校長先生になにやら訴えている様子をみて、みんなの卒業式をとめる身勝手な行為に少々腹をたてていたそうだ。

しばらくして、その男の子は校長先生からマイクを借りて話しだした。

「おかん、ずっと迷惑かけ通しですみませんでした。今日こうして卒業式に出れるのはおかんのおかげです。有難うございました。」

そう言って、友だちに預けていたであろう花束をお母さんに持っていったとか。

 

顔も知らない他人だけど、聴いていて涙が出てきた。

よほどやんちゃをしていたんだろうな。母親と険悪にもなっただろう。親にとってみれば、どんなに言ってもきかないばかりか、ますます親から離れていく子どもに、怒りとやるせなさと悲しみを抱えてこられたことだろう。

子どもは、そんなに荒れるまでにどこでどれほど傷ついてきたのかと思う。何度も親や教師や友人たちに裏切られたような思いを抱えてきたのだろうか?

怒って説教するばかりの親に背を向けて、家に寄りつかなかった子が、自分をふりかえり、母親の苦労を思いやれるようになったんだね。おかあさんは、式の間じゅう泣いておられたとか。うん、うん、わかるわ〜〜。

 

学校がしんどくなった状態

子どもが朝、しんどくてなかなか起きられなくなったり、玄関を出るのをしぶったりします。

それをしかり飛ばしてお尻をたたいて学校に行かせていくうちに、もっとしんどくなっていき、とうとう起きられなくなります。起きても、頭痛がするとか、ご飯を食べたらお腹が痛くなったり吐き気がしたりするようになることもあります。

お腹の調子が悪くて学校へ行くのが不安になることもあります。トイレにこもってなかなか出られなかったりします。

玄関で立ちすくんで動けなくなる場合もあります。

 

これらの状態は、どこから起こるのでしょうか?

学校の環境で過ごしているうちに、なんらかの過剰なストレスが子どもにかかっていて、でも学校は「行かなければならないところ」と思っているので、頑張って行っているうちにストレスが飽和状態になり、とうとう体が悲鳴をあげるようになってしまった状態と思います。

教室のなかで、なんらかの恐怖や不安を感じて、辺縁系(海馬体、扁桃体)ではその環境から遠ざかりたい、行きたくないと感じています。でも「学校はみんなが行くところ、行かなければならない」と大脳皮質で思っているので、「行きたくない」気持ちを「ない」ことにして行こうとします。

でも、身体感覚は恐怖や不安を感じて反応するのです。

身体が拒否するまでに我慢を重ねているので、ひとまず恐怖や不安を感じる環境を回避する(学校へ行かないこと)必要があります。安心して休めることを保障してあげると回復は早いですが、たいていはなんとかして行かせようとして、身体症状を悪化させてしまいます。

子ども自身も「学校に行きたい」と言いますが、それは皮質の部分の「思考」であって、身体感覚や感情は「行きたくない」のです。

親は「子どもは行きたいのだけど、体の具合が悪くて(あるいは原因はわからないけど)行けないのです」と言って、先生にお願いしたり医師に薬を処方してもらったりして、行かせようとします。するとどんどん症状が重くなっていきます。

身体感覚や感情を子ども本人も受け入れて、休むことが必要なのだと理解して休養をとったほうが、精神的な回復にはいいのです。

 

 

ゲシュタルトワーク

グループワークでは、グループのダイナミックなエネルギーが気づきを促進させてくれます。

ワークしている人の本音を見たとき、本物の感情を見たとき、見ている人のだれもが支持したくなるのですね。たとえそれが、ネガティブな感情であったとしても、それなしには生きてこれなかったその人の必然性を感じるからでしょう。

だれも傷つかないで生きている人はいない。だれもが懸命に自分の人生を生きていることに共感するからでしょう。

 

ワークをすることに抵抗を感じるが、やってみる必要を感じている。   そういう場合、ワークをしたいと思っている自分と、それを抑えている自分の中の「なにか」と対話する。

「抵抗している自分」が『ワークをするのはこわいよ〜。』と「『ワークしたほうがいいよ』と思っている自分」に伝えられると、不思議とこわさが軽くなるのです。『こわさ』を感じているからだの状態が楽になっていることに気づくことが多いのです。このことは、先日の日記「感情を育てる」で書いたことと同じ理屈ですね。

体の感覚と認知が一致すると変容が起こるというのは、ゲシュタルトワークのなかでずっと起きています。自分の感情や感覚を大切にして言葉にしていくということはとても重要なことなんですね。

 

 

感情を育てる・・・家族カウンセリング協会の研修より

家族カウンセリング協会の研修で、「感情を育てる」という言葉に出合った。

「心を育てる」という言葉は馴染みがあるが、「感情を育てる」という事は耳新しい。

子どもを大事に思うから、親は子どもが元気で笑っていてほしいと願う。泣いたりぐずられると不安になる。また社会全体が子どもの泣き声やぐずりに不寛容になっている時代でもある。ここに子育てがますます困難な苦しい仕事になっている要因がある。

あかちゃんは、お腹がすいたり暑かったり不快を感じるとき、泣いて親に訴える。(その泣き方は半端じゃない。全身を使って声のかぎりに泣いている。これが生命エネルギーというものかと畏敬の念すら覚える。)

その訴えに応じて抱きしめてもらうと安心する。不安を感じた時「よしよし、お腹すいたのね」と声をかけられ、だっこしてもらい、空腹を満たしてもらうことで安心する。

不安なときお母さんが来てくれて、いつも抱きしめられて安心するという、その繰り返しによって、赤ちゃんは「基本的信頼感」を育てることができる。赤ちゃんが最初に獲得する感情は「安心感・安全感」であり、それはさまざまな感情が育っていくための大事な基礎になる。

 

 小さい子どもは腹が立つ、悔しい、悲しい、恐れ、不安、などネガティブな感情を言葉にできない。なぜその感情がおきたのか状況を説明できない。子どもが腹が立って興奮してものを投げつけたとき、親は叱るだろう。叱られて子どもが泣けば「泣くんじゃない」とまた叱られる。

そのとき子どもの気持ちを言葉にしてあげると、子どもは自分のなかにわき起こった感情に気づくことができ、その感情を人にわかってもらったことで安心する。「Aちゃんが貸してねって言わないで、君のおもちゃをとったから、腹がたったんだね」と感情と状況を言葉にしてもらうと、自分のきもちをわかってもらえた経験をする。

 

その経験の繰り返しによって、かっとなったときものを投げつけないで「Aちゃんがぼくのおもちゃをとったから腹がたっているんだよ」と言葉で伝えることができる子に育つ。(感情の社会化)

 

怒り、悔しさ、悲しさ、不安、恐れなどネガティブな感情は親に受容、共感されにくい。ネガティブな感情は「ないこと」にされてしまう。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」「たいしたことない」と言ったり、お菓子で気をそらしたり・・・。

「ああ、痛かったね」「こわくなったんだね」「悔しいんだね」と身体感覚や感情に共感して抱きしめてもらってから、そのあとでの「だいじょうぶだよ」ならいい。

子どもが転んだとき、「痛くないよね」「だいじょうぶ!」など「ないこと」にしてしまうと、身体感覚や感情を感じる脳の辺縁系(海馬体、扁桃体など)をスル—して、大脳皮質(前頭前野、前部帯状回など)で「痛くない」と判断してしまう。

身体感覚と前頭前野で判断する認知とが一致しないとき、矛盾する情報を処理して環境に適応するためには、情動や痛みを「解離」させなければならない。

ネガティブな感情を「ない」ことにして感じないようにしていると、身体で感じていることと頭で認知していることとの間に「解離」が起こる。軽度な解離(一時的な解離)は子どもに起こりがちなこと。しかし、解離が常態化していると、いつも家でにこにこ明るい元気な子ども(大人が理想とする子どものイメージ)が、学校でのちょっとしたことがきっかけで暴発し、コントロールできないことがある。いわゆる「きれる」状態がこれである。

 

久しぶりに休日

染色織物をしている友人の作品展がみやこめっせで開催されていて、ちょうどOFFの日があったので行ってみました。

若いころ、いつもジーンズにブーツを穿いていた彼女が、織物に興味があったなんて知らなかった。

その頃からずっとその思いを温めていたんですね。結婚して子どもができてから、偶然今の師にであってこの道にはいり20数年。

染織する材料を求めて、草や木や根を取りに野山に分け入る毎日なのでしょう。

光と風が布の裏から萌え出てくる感じがします。

繊細、やさしさ、たおやかさ、きびしさ、華やぎ、うつろい、しずけさ、潔さ、あたたかさ・・・

いっぽん、いっぽんの糸が歌っているような表情をしていました。

 

本当はなにが言いたいのかを聴く。

ゲシュタルトセラピーの勉強会。

体の動き、姿勢、身ぶりに自分の気が付いていない感情が現れる。

セラピストは本人が気づいていない体の動き、姿勢、身ぶりに注意を向けさせる。

「それらが出てくる元にある感覚、感情はからだのどこにありますか?」

からだの中の感覚を感じながら感情を言葉にすると、ほんとうに言いたかったことが出てくる。

過去の体験、感情を「今ここで」再体験してみると、そのとき気がつかなかった気持ち、言えなかったことが、口に出せる。

あの時本当はこんな気持ちで、こんなことを言いたかったのだ、と気づくと不思議なことに心と体が変わる。「未完のことがら」を完了させることができる。

カウンセリングのなかでいつセラピーが必要になるかわからないけれど、感覚は鈍らせないよう訓練しておかなければならない。

浪人中のさむらいが、必要な時に備えて剣の腕が鈍らないよう、修行しているようなものかな。

うれしいこと言ってくれる〜(*^_^*)2

不登校支援を続けてこれたのは、夫や子どもたちの理解と協力があったればこそ。

ことさらに何かを言ってきたわけではないのだけど、家事を手伝ってくれたり活動にかかわってくれることもある。

 

「いつもバタバタしていてみんなに落ち着かない思いをさせて申し訳ないね」

なんて上の娘に言ったら、

「でも、お母さんみたいな人今の世の中には必要だと思うよ」

 

「あんがと」

 

こんなおいしいこといっぱいあって、やっぱりボランティアやめられまへん!(*^^)v

 

 

 

ページトップへ上矢印

Get Adobe Flash player