福本早穂の教育心理カウンセリングオフィス、子どもと家庭の相談室こころのそえぎ 京都市山科

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こころのそえぎ日記(ブログ)

だれも邪魔な人はいない

今日は、不登校支援ボランティアのスタッフ会議。

遅い昼食をみんなで食べて(その間もずっとおしゃべりは途切れることなく・・笑)

そろそろ本題に入ろうかというとき、携帯電話が鳴りました。

おばあちゃんから。

ちょっと不安に駆られながら、「どうしたの?」と言っても、しばらく応答がありません。

待っていると、普段よりゆっくり呂律のまわらない口調で背中がいつもより苦しい。むかつきがひどい、と言います。

心配になって、会議を後のスタッフの人たちに頼んで、急いで家に帰りました。

 

 

帰るとベッドの上で、つらそうに体を折り曲げてがまんしてるおばあちゃんがいました。

どうしようもなく、訴えるのを聞きながら背中をさすったり、足をさすったりしているうちに少し落ち着いてきたようです。

 

私が会議をしないで帰ってきたことを知って、

「私はあんたの足を引っ張ってばかりで、邪魔してるなあ」とつぶやく母。

 

なんだか切なくなって

「人間はだれも邪魔な人なんてないよ。みんな絡み合って生きてるからね。」

というと、

「そんなふうに言うてくれたらええねんけど・・・」

 

おばあちゃんが弱るたびに、うちは家族の結束が強くなってるんだよ、おばあちゃん。

だれも邪魔な人なんてないよ。

 

 

しかし、日ごとに弱って行く母、疲れがたまっていく私。

「これは戦いなんや」

とは老人らしからぬおばあちゃんの宣戦布告。

立派に討ち死にしましょうぞ、戦友。

 

ご訪問ありがとうございます。

介護の時間が増えてきているのに加えて、新年度の行政の助成申請などで忙しいので、

なかなかブログ更新できないでいます。

でも、毎日訪れてくださる方がいて、とても有難く、

私って幸せ者だなーと思います。

 

 

母は、足のむくみがひどくほとんど毎晩足のマッサージをしています。

血液の循環が悪いのと、血が少なくなっているので、すぐに体も足も寒くなります。

食事もたくさんは食べられなくて、でも食欲はあり、「あんたのつくるもんが一番おいしいわ」と言って喜んでくれます。

ほめ上手の母にほだされて、つい料理をがんばってしまうので、忙しくて仕方ありません。(笑)

あとでどっと疲れが出てくるので、「このほめ上手にのせられてはいかんぞー」と自主規制しながら(笑)、なんとか毎日を過ごしています。

 

体調は一進一退で、調子をくずすと洗濯ものが山ほどふえるので、介護も楽じゃありません。

 

昨日は、初めて訪問看護に来てくださいました。

看護師さんがお腹や足をマッサージしてくださると、母はすごく気持ちいいと言って喜んでいました。

ヘルパーさんも看護師さんも、みなさんサービス精神旺盛なよい人ばかりで、

「こっちへ来てからずっと運がいい」と母は言います。

「この4年間が私の人生やった」と言います。

 

 

なんだか気の毒なような・・・。

それまでひどかったんだねー。おじいちゃんとの暮らしは、気持ちがやすまることがなかったそうで・・・。

 

でも、いつまでも長生きしてほしいとは、正直言えません。

私と母とどちらが先に倒れるか、

というところまで行かないうちにご機嫌よく逝ってもらえたら、と思います。

関西人のユーモアとドライさを母も持っていて、

私も離れているときは母との別れを思うと悲しくなるのだけれど、

母といるときは、どこかユーモアがあって面白いのです。

 

母「わたしの生命線こんなにはっきりして、長いねん。みてー。

いややわー、長生きしそうで〜」

私「はは・・・、おばあちゃん、もう長生きしてるやん」

母「ほんまや、私、もう90やもんなー。こんなになるまで生きられると思わなかったわー」

てな調子。(^_^;)

 

 

 

飛行機雲

昨夕、母の買い物を買いに行った帰り、夕焼け空にひこうき雲が何筋も延びているのに気づいた。

すでに太く散っていく雲の筋の一番端に、

今ちょうど空港に向かっている機が吐いている筋がくっきり。

機影は全然見えないでいて、光の点から輝く糸が吐きだされている様に見とれていた。

 

子どもの頃は、よく空を見上げていた。

こんな光景をみるとわけもなく心が踊って、興奮していた。

 

海岸沿いを走る遠足のバスの窓から水平線を見ただけで、感動していつまでも見飽きなかった。

 

 

近所の田んぼの向こうに沈む夕陽がとてつもなく大きく真っ赤に熟れていた光景が忘れられない。

 

 

はじけるようにわくわくしたりどきどきしたりときめいたり、

子どもの頃は喜びや悲しみも抑えようもなくこみあげるようなものだった。

 

子どもの頃の感性は、もうなくなったなあと気づいてからもう何年経つのか?

今は、しみじみ、じんわり、まったり、感じることが多くなった。

ちょっとさびしくて、ちょっとここちよい感じ。

 

 

 

 

小さくされた人々

最近、「反貧困ネットワーク」の湯浅 誠さんのプログやツイッターを読む機会があり、

今やっている「子ども若者支援」のボランティア活動とのつながりを見出して、なるほどそういうことなのかと納得したのでした。

少し長いですが、読んでいただければ有難いです。

http://yuasamakoto.blogspot.jp/2012/03/blog-post_07.html

引用*鳩山元総理が「みんなに居場所と出番を」と表現した「社会的包摂(Social Inclusion)」は、19 90年代以降の社会の劇的な変容の中で重要性を増していますが、政府としての取組は始まったばかり です。社会的包摂は、個々の政策に意味付与する理念であり、ある一つの政策があれば社会的包摂、 なければ社会的包摂ではない、というものではありませんから、「何を」というのを個別政策として 具体的に名指すことはできません。イメージとしては、現状において社会参加・政治参加に支障のあ るさまざまな立場の人たちにとって(この状態を「社会的排除」と呼ぶ)、それが可能となるような 条件づくりを多方面(給付やサービス、まちづくりなど)で行い、社会自身がユニバーサル(普遍的 )かつ多様性のある状態に変容していくことを後押しする理念だと言えます。

 

「社会的包摂(Social Inclusion)」という概念、それに対する「社会的排除」という概念。初めて知ったのですが、高度成長期に形成された男性は生産の場(企業)で、女性はその男性を生産の場に送り出す再生産の場(家庭)で分業し、再生産の場は次なる分業の担い手を再生産する場でもある、という日本型モデルが日本の社会福祉政策を形成してきたのだというところが、よくわかりました。

 

引用2:社会的包摂理念は新自由主義と親和的な側面もあり、福祉国家論者の中には批判的な人も少 なくありません。その意味で、社会的包摂の理念や政策には、あらゆる社会構想と同じく、限界も課 題もあります。  ただ、男性正社員片働きモデルを固定化する日本型雇用と、高齢と障害のみを社会保障の対象とし て、子育て・教育・住宅については高い私費負担を前提にする日本型福祉社会とのセットが支配的で 、そこから排除された人々を自己責任論という名の社会的無責任論で片付けてきた日本社会において 、社会的包摂理念のもつ意義は大きいと考えています。これからの超少子高齢化・人口減少社会に対 応するためにこの理念をより強く打ち出し、より広く社会に浸透させる努力を積み重ねることは政府 の責務であり、私としてはそのことを現政権に要望しておきたいと思います。

 

「社会的包摂理念」の意味づけをしつつ、湯浅さんは日本型社会モデルが崩壊してきた状況を分かりやすくおっしゃっています。

 

引用3:しかし、このような「標準的なライフサイクル」に当てはまらない人たちは高度経済成長期から存 在し、その典型が母子家庭であり、日雇い労働者でした。この人たちは国・企業・男性正社員と重な る三つの傘の下にいなかったため、以前から「働いても不安定で貧困」なワーキングプア状態に追い 込まれていました。しかし90年代以降、国も企業も余裕なく傘を閉じていった結果として、家族の支 える力も弱っていき、傘の外で雨に濡れる個人・世帯が増えていきました。  典型的には、ホームレス状態にある人々、働きすぎでメンタルヘルスを害した労働者、就職氷河期 世代の未婚男女、親が高齢化していった障害者やひきこもりの人たち、リストラされた中高年男性と その家族、貧困家庭に育った子どもたち、家族に支えられなくなった低年金・無年金の高齢者、親の 介護や子育て負担から十分な就労機会を持たない人たち、廃業せざるを得なかった自営業者などです。

 

この話を聖書にくわしい友人に話したら、「傘の外に出されてしまった人を『小さくされた人』とイエスが言ってる」と言っていました。イエスは、「小さくされた人」を前にして心を揺さぶられ、なにか自分にできることをしたいと思ったんでしょうね。決して大それた「奇跡」を起こして、賞賛を得たいと思ったのではなかったでしょう。

不登校から元気になって進学や就職しても、傘の中と外に分かれてしまう社会があるかぎり、親としては子どもの将来に安心できないのです。

かといって、傘の外に排除されないよう、傘の内にいられるように子どもに叱咤激励して無理をさせるということもできません。それは、今の学校環境や就職活動の厳しい環境に合わない子どもや若者たちが、自分なりのよさを発揮できないでいて、でもそれぞれのやり方で精いっぱいがんばっていることを知っているからです。(「がんばる」と「無理する」は違う、って誰だかが言っていました。けだし、名言!)

「うちの子」が傘の内に入れたら、同じ不登校だった「あの子」は外に排除されるかもしれないし、逆の状況もじゅうぶん予想されます。

どちらにしても、同じように「不登校」で悩んできた親たちが、子どもの成長とともに、子どもが社会にどう入って行くか、受け入れられていくか、というところで、傘の下に入っても、排除されても、どちらの心も傷ついていき、分断されていく危険性があります。

9年間不登校ひきこもりの問題にかかわってきて、またわが子の不登校を経験してきて、自分の中にあるこのわだかまりはなんなのかと、もやもやとしていた気持ちがなんなのか、かなりわかったように思います。

「不登校」という学校社会から「社会的排除」された痛みを共有する子どもたちが、成人後に傘の内であれ外であれ、つながり協力し合って新しい社会モデル像(社会的包摂のできるモデル)をつくっていけたらな、というのが私の夢みたいな結論ですが、

さて、具体的にはどうしたらいいのか・・・・・?

お互いに既成の価値観にとらわれないで、ひとりひとりが「なくてはならない存在」として「小さくされること」なく「大きな存在」としていられる。・・・そんなイメージでしょうか?

*母の介護に体力と時間が必要な私も、最初から「小さくされている」女性なんですね。だからこういう問題に反応するのでしょう。

子育てと介護にもう少し社会的支援があったら、もっといろんなことができたし、できるなー、と思ってしまうけど、自分の家族が大事なので、後で後悔したくないので、できることはやってますー。って感じかな?

 

 

人生のしまい方

母はもうすぐ89歳になる。

去年の秋から体調を崩していたが、今年に入って急に衰えを見せ始めた。

 

つい最近まで歯もしっかりしていた。目もよく見えた。髪の毛は今でも黒い毛が生えている。

でも、今は亡くなる前の父に似てきた。

 

お迎えが近いことを悟っているのか、会うたびに感謝の言葉を口にする。

「おじいちゃんが死んでから4年間、あんたの近くでゆっくり暮らせてよかった。」

「あんたんとこはみんないい子や。」

「みんなによくしてもらった。ありがとう」

 

本当にそう思えるほど、じゅうぶんなことができたわけじゃない。

時間のない日々に母と過ごす時間をとることは時にうらめしいこともあった。

おしゃべりにつきあうと2,3時間くらいあっという間に経ってしまう。

 

「今日は母と過ごすための日」と決めて、ゆっくりつきあった日は、お互いに満足できた。

けれどそんな日は何日あっただろう?

 

母と別れたあとも私は私の人生を生きていかなければならない。

残りの人生を精一杯自分を使って生きていきたい。

だから、母がまだ生きている今も、母のためにすべての時間を費やすことはできない。

 

感謝の言葉が言える母はえらいと思う。不満もあるだろうに。

私も感謝しながら逝けるだろうか?

 

マザーテレサのチョコレート

14日の夕方にバレンタインチョコの売り場を見たら、ほとんど売り切れていました。

毎年、息子とおっちゃん(夫)に買っています。(^^♪

チョコレートを見ると、マザーテレサを思い出します。

昔、なにかで読んだエピソードなんですが、いつも質素な食事をしているマザーだけれど、

チョコレートが大好きで、チョコを食べるとき「神様、私の贅沢をお許しください」と言って、食べていたそうです。

写真で見るマザーは、尊厳にみちた風貌でいらしたので、お祈りしてチョコを食べている姿を想像すると、

可愛くて微笑ましくてうれしくなるのです。

 

マザーテレサといえば、長年ヨガをしている友人が、インドで聞いたジョーク。

マザーはある航空会社と提携して、天候の悪い日に飛行機が欠航になると機内食が余ってしまうのを、もらいうけて人々の食事にあてていたとか。

それで、天気があやしくなると「テレサ母さんが祈ってる」と言っていたそうです。

マザーは、ただボランティアをしていただけではなくて、ビジネスマネージメントのセンスがあったんですね。

 

 

不登校・・・家庭訪問

学校を休み始めて間もないころは、先生の家庭訪問があると会える子もいますが、会えない子もいます。

学校の話題はさけて、「どうしてる?ご飯食べてるか?ちゃんと眠れてる?」というところから、「気にかけてるよ」という気持ちだけさらっと伝えていただけたらいいかと思います。

子どもに会えなくても、お母さんと話をしているだけでも、子どもは気配を感じたり、聴き耳をたてていますので、

お母さんと「しんどいんやったら、休んでしばらく様子をみましょうか。」というふうに話し合っていただけたらと思います。

家庭訪問の後、先生が帰られてから子どもの様子がどんなだったか、お母さんに聞いてくださるようにお願いします。電話で聞いてくださるときは、電話ぐちでお母さんが話しにくい感じだったり、よそよそしい感じがするときは、電話のある部屋に子どもがいることが多いです。

「今、○○くんは電話を聞いていますか?」「それなら返事だけしてください」

と状況を察してくださると、よく理解してくださっていると思い、安心します。

家庭訪問時、子どもは先生の前では落ち着いて応対していても、帰られた後、「なんで先生が家にくるんや」と怒って暴れたり、逆に自分の部屋にこもって出て来なくなったり、していることもあります。

子どもが不安定になるようであれば、しばらく家庭訪問を見合わせてくださったほうがいいと思います。でもお母さんには、この休み始めの時期は担任の先生が一番頼りなんです。学校でときどきお母さんと会って、家庭での子どもの様子を聴いていただいたり、お母さんのつらさしんどさを受け止めて聞いてくださると、お母さんがほっとすると子どもによい影響がありますので、お母さんの不安な気持ちを聞いてあげていただきたいと思います。

アドバイスやこうしましょうという具体的な提案より、受け止めて聞いて頂くだけでじゅうぶんなんです。そしてまた子どもが落ち着いてきた頃、訪問してあげてください。

 

でも、先生の負担がかかりすぎないようにしてください。

時間がないけどいかなければならないと、先生がしんどい思いをされると子どもにも伝わります。

余裕のあるときにときどき、短い時間でよいので、子どもと関わってあげてください。

学校の先生としてではなく、その子どもが接する数少ない家族以外の大人のモデルとしてかかわっていただけたら子どもにとって大きな意味があります。

 

 

子どもの好きなこと、興味関心のあることを話題に

家庭訪問で子どもに会われるときは、なるべく学校の話題をさけて、子どもの興味関心のあること、好きなことを話題にしてくださると、先生と安心して話ができます。あらかじめ母親から今子どもが何に興味があるのか、嵌っていることとか好きなアイドルとか聞いておいていただくと、話題にこまらないし、子どもも話しやすいです。十分関係性ができれば、学校の話題もOKになってきます。

とくに低学年の場合は、先生と仲良くなって、好きな先生に会いに学校へいくことがあります。

ある先生は、けん玉など子どもと遊ぶものを持って家庭訪問をつづけられたそうです。

でも、ほぼ1年くらい学校へ来なかったそうですが、2年生に進級するときから登校するようになったそうです。

その先生は子どもの心のケアに理解がある方で、「その子のペースで学校に戻れたのかどうかは分からない」とおっしゃっていました。

確かに、ある時期学校へ行っていても、また行けなくなることもあります。

なので、登校できたできないかにこだわって一喜一憂しないで、

気長に成長を見守って行くことでしょうね。

 

 

中には、初めのころは会っていたのに、会わなくなる子もいます。来ていただいても行けないことが分かっているので、会うのがつらくなってしまうのです。でも、母親とのやりとりを聴いている子どもは多いのです。先生が帰られた後、お母さんの表情が明るいと子どもはそれを見て先生に対する安心感をもちます。

訪問の時、親は家の中に上がってくださいと言いたいのですが、子どもが不安定な場合は、玄関先で失礼することもあります。

 

ずっと先生と会わない子どももいました。でも、先生の存在はその子の心の中に宿っている。会えるか会えないか、話ができたかどうかより、その方が大切と思います。

学校へ行けないけど先生はクラスの一人の生徒として自分を大切に思ってくれていたということが、学校(教師)に対する信頼感になって何年もたってから上の進路を決めるときに一歩を踏み出しやすくなっているのです。

 

小学生の不登校・・・低学年の母子登校

低学年の母子登校、教室での見守り

 子どもがお母さんに一緒にいててほしいというのであれば、そしてお母さんがしんどくなければいい。

下に小さい子がいたり、介護があったり、お仕事があるなど家庭によって事情がちがうので、母親が感じる負担感もちがうと思う。

保育園や幼稚園の送り迎えがなくなってやっとほっとできるようになったのに学校へ行けなくなると、子育てがずっとつづくしんどさがある。お母さんをねぎらってあげてほしい。

「母子分離不安」に原因をみることは未だにあるようだが、幼稚園を機嫌よく通っていた子どもが小学校に入ってから行けなくなっている、ということ自体が「母子分離不安」ではなく、学校のなかに不安があるのだと、西村秀明さん(宇部フロンティア大学人間社会学部教授)がおっしゃっていた。

子ども心にもプライドが芽生え、お母さんに付き添ってもらうことに抵抗を感じるようになる場合もある。

 

お母さんの付き添いも簡単なものではなくて、10分で行ける学校に1時間かけて行ったという母子もある。電柱ごとに立ち止まる子どもをじっと辛抱強く待って付き添っていく光景を想像してみてほしい。親も子もつらい難行だということを理解してほしい。

ある男の子は、毎日お母さんが付き添って登校していたけれど、ある日とうとう路上で動けなくなってしまった。お母さんが「家に帰ろうか?」と言うと、「ぼく家に帰れない。学校にも行けない。・・・ぼくはどこに行ったらいいんだろう。」と言っていたという。聴いている私も胸の詰まるおもいがした。

どちらにしても、あまり無理しないほうがいい。心と体のサインを受け止めて聞いてあげたほうがいい。

1年から6年までお母さんが教室で見守りをつづけていた、という母子の例では、中学生になっても学校へ行けなくて、家にひきこもり、母親に手をつないでもらうけれど不安で泣いている子どもさんもいた。

何が原因かはわからないけれど、他のクラスメートと同じようになれない自分をいつも意識して自己否定していたのだろうか?心の負担はできるだけはやく取り除いてあげたほうが、後の回復はよいということは言える。

1年からまったく学校に行かなくなり、家でゆっくり過ごしている子どもが自分なりの育ち方をして、いい青年やおとなになっている例は何人か知っている。これもそれぞれのおうちの事情もあるので、だれにでも当てはまることではないけれど。

 

教室のなかで不安を感じている子どもが、保健室には入れるのなら、そこで子どもが安心していられるのなら、保健室登校も認めてあげてほしい。

養護の先生の理解があるなら、子どもにはもちろん、お母さんにも心強い味方になってもらえるだろう。

子どもが何に不安を感じているのか、親の焦りや不安も受け止めながら、子どもの気持ちをほぐしていくように子どもに聞いてあげて不安要因を取り除いていくと、来れるようになったという例もある。

中には、フリースクールが居場所になり、そこで成長する子どももいる。

学校からみれば、否定されたような気にもなるかもしれないけれど、子どもの特性や持ち味がそこでは発揮できたのかもしれない、ということで、寛容にそこでの成長を認め喜んであげてほしい。学校の先生から認められるというのは、子どもにとっても親にとっても、大きな安心と励ましになる。

つづく

 

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