福本早穂の教育心理カウンセリングオフィス、子どもと家庭の相談室こころのそえぎ 京都市山科

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こころのそえぎ日記(ブログ)

ユングとカンサンジュンさんと石原吉郎

近頃ご縁があって、著書に触れた人たち

ユングは、河合隼雄さんとかその教え子の人の著書など読んでいたけれど、

8月にユングの講座をやろうと思いたってから、

そういえばユング自身の著作を(もちろん翻訳だけれど)読んだことなかったな、と気がついた。

「ユング自叙伝」をはじめ「自我と無意識(の関係)」その他・・

 読んでみたら、すごく分かりやすい。

そりゃそうだ。

人づてに聞くより、本人に直接聞いたほうが本当に言いたいことがよくわかるものですよね。

その後、カンサンジュンさんのアエラ特集を友人が貸してくれて、(なんと、サインもらってる!)

読んでると「あなたの生き方でいいんですよ」って

肯定してもらえてる感じがして、何度も涙がでた。

石原吉郎の詩も久しぶりに触れた。

「シベリア抑留とはなんだったのか?ー詩人石原吉郎のみちのりー」畑谷史代さんという若い世代の記者が書いている

この本も最近紹介してくださった方がいて、読んでみた。

カンサンジュンさんが、ウェーバーと夏目漱石の対比をドイツと日本の近代化の中で論じていらっしゃるので、

その社会の行き着く先のどうしようもない破綻の先に、

石原吉郎がいるのが見えてくる。

その後高度成長期を経験し、バブルがはじけ、

もう後戻りできない崩壊の予感の時代に

私たちはいるのかもしれない。

真っ只中にいると、わからないものね。

この社会のどこにどう自分の存在の意味を見出したらよいかわからなくなっている人たちがいて、

でも、今の社会が置き去りにしてきた何かを

痛みを伴いながら温めているような気がする。

ユングの経験した内界の戦いを

この人たちは闘っているのかもしれない。

ユングは、ペルソナを自己と社会との妥協の産物のように言っていた。

石原吉郎は、死地から生還した目の前に、

あの戦争の意味を問う暇もないような日常があらわれたんだろう。

妥協しようにも集合意識からはみ出してしまった自分を、

ペルソナを形成することができずに苦しかっただろう、宙に浮いていたのは。

自分の存在を真に承認してくれる人が皆無だったことに絶望したんだろう。

とてつもなく悔しかったんだろうな。

どこに向けていいかわからない不条理を感じていたのだろうな。

これはなんだかひきこもりの人の苦悩に似ている。

こんな時代には

自分の素朴な感性、感覚を大事にしてくしかないなと思う。

ねばならない、ではなくて、どうしたいか、なにを愉しい、しあわせと感じるか。

そして、人の感性、感覚も自分と同じように大事なのだと理解すること。

私は、子ども達が愛しいし、うちのおっちゃんが好き。

(腹立つこともあるけどー)

と言える事が、稀有なことなのだと

カンさんの本から知ったのです。

ありがとう、カンさん。

1年が過ぎた

今日は、父親の1周忌の法要があった。

あの日も、頭がくらくらするほど暑い日だった。

療養型病院に転院し、いつ行っても昏々と眠る顔をみるだけの見舞いだった。

病院が遠方になったこともあって、だれも行けなくなり、私ひとりときどき行っていたけれど、

時間を捻出しながら、しょっちゅう行けないのを心のどこかで言い訳しながら。

「父さん、私は今、あるご家族が危機に直面している真っ最中にいるの。

手がちぎれそうに痛いけど、この手を離すわけにいかないんよ。」

現実認識ができなくなった本人に代わって、病状の変化があるたびに

家族が延命治療の希望を尋ねられる。

何が一番本人にとってよいのか、

この判断が、本人の意向に沿わないかもしれない。

この決定が、命を縮めるかもしれない。

人の生死の決断を自分ひとりの肩に背負わされるのが、

とても理不尽な思いがして、かなしくて苦しかった。

ある日、自分の判断の迷いをヨガの先生に問うてみた。

「さまざまな枝葉を取り払ったとき、

あなたの真我が見えてきます。

一番よいと思うことをすればいいのですよ」

私の周囲には、豊かな知恵や思いやりを持っている人がたくさんいて、

助けてくださる。

ぱたんと戸を閉めるように父は逝った。

まだイビキが聴こえてきそうな顔だった。

この一年、小さい頃からの自分の課題が次々にあらわれて

近年にない落ち込み方だった。

あー、ほんとしんどかったな。

で、何が分かったかというと

「私は私であっていい」

ただそれだけのことがうれしい。

16…祖父母と親の世代間の葛藤2

不登校15のつづきです。

 同居している祖父母から毎日子どもが登校刺激を受けて、身体症状がひどくなっていくのを見かねて、父親が「俺達の子どもだから、自分達で責任持ってみていくから何にも言わないで、今までどおりに接してほしい」と自分の親を説得されたという家庭がありました。このときここで、はっきり家の中の世代交代が行われたという画期的な意味があると思います。祖父母と父親とのそれまでの関係が、子どもの不登校によって、顕在化することも多いのです。

「学校」や「学歴」に対する価値観、もっと言えば生き方、人生に対する姿勢が問われるときに、親も自分の親(祖父母)からいかに精神的に自立しているか問われます。

自分自身が無意識に、親から認められたい思いが強いほど、子どもの不登校によって生じる親との軋轢が耐え難いものになります。

一概には言えませんが、子どもの不登校を媒介にして生じる祖父母と母親との間の葛藤から身を引いて、あたらずさわらずにしている父親が多いように思います。一人ひとり、仕事量も労働時間もちがうので、そうした父親の姿勢を責められないとは思いますが、言葉や態度の端ばしに、気にかけてくれているな、なるべく母親の話を聞こうとしているな、という感じがわかると、お母さんは支えられるようです。

でも、祖父母にとって孫がかわいいのは不登校になっても変わりはなく、親にはきついことを言っていても、孫が遊びに来ると美味しいものを食べさせて、お小遣いをあげたり、どこかへ連れていったりしてくれる人がほとんどです。

なかには粋なおばあちゃんもいて、孫が来ると花札を出してきて、「一緒に遊ぼう」と誘ったりするそうです。

親との葛藤で疲れた子どもが、田舎のおじいちゃんおばあちゃんに受け入れてもらって、学校のことは何にも言わずに普通に接してもらって、ほっとできた、という話は何人もききました。映画にもなった「西の魔女が死んだ」という話は、実際あるだろうなと思います。(学校復帰が、あまりにスムーズに行っているところは、現実とはちがうなと感じますが。)

 こういう祖父母の受け入れる態度、姿勢は傷ついた子どもにとって、自分の存在を絶対的に肯定してくれる人がいるというきわめて貴重な経験になります。

 本当は、親に受け入れてもらうことが一番必要なのだと思いますが、子どもの将来に直接責任と負担がかかってくる親の世代は、存在レベルで絶対肯定する(子どもの誕生のときに「生きてくれているだけでいい」と思った経験をした親は多いのではないでしょうか?)というふうに受け入れるまでにはさまざまな葛藤と苦しみをのりこえなければなりません。

 親子でそんなふうにもつれたりほぐれたり、すったもんだして過ごした時間こそが、親を親たらしめるのだと思います。葛藤の時期に親子の絆が深まり、以後の親子関係の基盤を築いているのです。

 もう10年以上前のことですが、不登校のシンポジウムの会場で、あるお父さんが発言されました。「娘が不登校になってから長い間家にいて、その間に親子でいろいろあったけれど、男女の仲にもそのときだけの薄い関わりもあれば、愛情で結ばれた深い関係もあるように、うちの親子は深い仲でやっていこうと思います」と。それを聞いて、会場のあちこちで拍手が起きました。

 

 つづく

あの日、たくさんの楽器が遺されて

 去年は暑いさ中8月に、地元京都で「不登校・登校拒否を考える全国のつどい」が開催された。

毎月の実行委員会のオープニングで唄ってくれるお父さんがいて、いつもテノールの澄んだ声に聞きほれていた。

ギターの伴奏だったり、アカペラだったり。

 それで最後の交流会で同じテーブルになったのをさいわい、恐る恐る「ピアノ伴奏させてください」と申し出てみた。

途端に、目をまるくして「ええーっ!」

さっそく、シューベルトの楽譜を下さって、12月にお手合わせ。

何十年ぶりだろう。

みずみずしい音と声。急に血が通ってくる感じ。

たのしーなあ、音楽って!

新年早々にご連絡有り。ある団体の研修集会で伴奏してくれませんか、って。

いやあ、うれしー!

4半世紀前、おっちゃんと逃げるようにして北海道へいき、着いたところが層雲峡に一番近い町。石炭小屋のような小さなあばら家に、中古のグランドピアノを置いた。(当時、友人が遊びに来て「ほんとに、この家の中にグランドがあるの?」って、笑いながら聞いたのでした。)その小屋に20人ほどの子どもたちがピアノを習いに来てくれた。保育士さんもいた。

そこから、2時間半かけて旭川の音楽教室にも教えに行っていた。

おっちゃん(夫)は、標高1800メートルの山のてっぺんが職場で、それでも年に1回ではなく、週に1回くらい帰ってくる彦星でした。

このあばら家で教えてた子どもさんが、長じて音大に行って奨学金で留学したという話も聞いた。私は手ほどきしただけなので、後の先生が良かったのだろう。でも、うれしいことですね。(そういえば、当時音大受験生もいて、私が引っ越したあとで「受かりました」って報告してくれた子も。)

人家はまばらな地域で、深夜に弾いても平気だった。

あの頃の生活を思い出すと、どこを見ても真っ白な風景が、はるかにはるかに見渡せて、さびしいなんて半端な気持ちじゃなく、自分が真っ白に消去されてしまいそうだった。

ピアノを弾くと、し?んと雪の中に吸い込まれるように混じりけの無い音が聞こえた。

今思い出しても、なつかしいを通り越して、胸がつまってくる。

でも、今ふりかえると、人口が1万人を切り、年々減少していく町のなかに、

ピアノを弾く子どもが少しでも増えたことを思うと、

ちょっと楽しくなる。

関西へ戻ってくるときに、ピアノを売ってしまい、楽譜だけが5、6箱残っていた。

(ピアノの代金が出産費用になったのだから、当時の経済状態は推して知るべし。)

子どもが生まれ、寝てるときは音をたてられないから弾けない。起きてるときは子どもの世話で忙しい。結局3人の子育てと家業の繁忙が一段落するまでに18年が夢中で過ぎ、だんだんあきらめも錆び付いて、もう一生あの頃のように弾くことなんてないと思っていた。

ところが、急に時間ができた。自由が訪れたとき、訳あって私は失意のどん底で、毎日放心してなにも手につかない状態。

そのころ丁度、ショパンコンクールがあり、2度の優勝者が出なかったあと、15年ぶりに、しかも19歳のリ・ユンディ君が優勝したというドラマティックなニュースがあった。

彼の清冽なピアノの音や自分の音楽に没頭して弾く演奏に魅せられて、つかえながら久しぶりに弾いたショパン。ひどいものだったけど、胸がふるえた。

こんな喜びがあるなんて!

やっぱり、生きてみるもんだと思った。

14年前の今日、震災で亡くなった人の家にもピアノがあったでしょう。

ピアノだけでなく、奏でる人をなくした楽器があちこちに。

15・・・祖父母の世代と親との葛藤1

 あけましておめでとうございます。

という気分も薄れてしまうほど、新年明けてから日が経ってしまいました。

みなさまは、どんなお正月を過ごされたでしょうか?

不登校の子どもにとって、お盆、お正月は鬼門ですね。

親戚縁者が集まるところへは、顔を出したくないもの。

ほんとうは、親だって遠慮したいところです。

こればっかりは、どう理解をしてもらったらいいかわからないです。本人にも、なぜ学校へ行けないのかよくわからないので。行こうとすると体が拒否反応を起こすのですから。

「学校はどうしている?」「このままにしてていいの?」

なんて聞かれてもねー。一番本人が気にしていて、答えを見つけられなくて苦しいところを、突かれると・・・。

ボランティアで活動している不登校支援(親子支援ネットワーク♪あんだんて♪)も始まり、早速「孫が学校へ行けなくなっていて・・・」というおばあちゃんからの電話相談。

「大人しくてやさしい、笑顔のかわいい子ですのに」と、心配なさいます。

どんなにか愛しい思いでかかわってこられたか、お聴きしていると伝わってきます。

 不登校の認識にも、世代間のギャップ、急激な時代の変遷が現れていて、「学校へ行けて有難い」という時代に育った祖父母の「学校」と今の「学校」環境とでは、想像もつかないほどの違いがあると思います。

 また、親でも祖父母でも「学歴」の有る無しではなくて、生活面でも精神的な面でも「学歴」の恩恵を受けて生きてこられた人と「学歴」にあまり関係のない仕事や生き方をしてこられた人とのちがいが、学校へいけないわが子、孫を受け入れられるかどうかに現れているように思います。

 祖父母の心配は、親に対しては「甘やかすから」「しつけがちゃんとできていないから」など、親への批判、非難になります。とくに子育てに関わる割合が多い母親に集中するのも、この社会一般と同様です。

母親が仕事をもっていると、忙しくて子どもにかかわっていなかったからと言われ、専業主婦だと過干渉、過保護だったからと言われたりします。

仕事をしているお母さんが、「小さいころ預かってもらっていたおばあちゃんが、学校へ行っていたときは、『私が育てたようなもん』と言っていたのに、不登校になったら『あんたの育て方が・・・』と言われる」と不満を漏らしていました。

だれかのせいにしないと、心配と不安の持って行き場がないのでしょう。

実の親子であるか、義理の仲(嫁姑)であるかというよりも、それまでの親子関係や嫁姑、夫婦関係が反映したり、もちろん価値観も反映します。加えて、代々しつけの厳しい家柄であったり、わりあい自由にのんびりした家風であったり、というちがいもあります。

たとえば教育関係者を多く輩出している家系で、祖父母も教師、管理職だった場合など、親子で追いつめられてしんどくなることが多いです。

 自分の親からは、「甘やかしている」と言われたけれど、姑からは「あなたが今まで一生懸命育てて、ちゃんと成長していることは私が知っている」と励まされたお母さん。

逆に高学歴の夫の母(姑)から、「私は立派に息子の子育てをしたのに・・」といわれた人。

元校長だった父親から責められ、何とか子どもを学校へ行かせようとするお母さん。でも、子どもはますます具合が悪くなっていくのでよけいに悩むのです。

親類縁者が高学歴の家柄で、盆や正月に帰省するたびに肩身のせまい思いをしている人。

姑から批判され、夫も同じ態度で孤立し、遠い実家の親に受け入れてもらってたびたび電話しているお母さん。

学校でのいじめや体罰が発端で行けなくなった場合、もっと学校に行って何とかしてもらうようにと、親にプレッシャーをかける祖父母もいます。

子どもの不登校を窓口に、親子関係、夫婦関係、嫁姑関係、親類などさまざまな人間模様が見えてきます。

「この子さえ学校へ行ってくれたら、今の悩みはなくなるのに」と思う親は多いですが、もともとあった問題が子どもの不登校をきっかけに表面化したとも考えられます。

そこから一時的に人間関係が悪くなったり、疎遠になっても、より関係が深くなることも多いのです。しかも、不登校の子を媒介にして。

つづく

はるかな河を渡って向こう岸へ

カウンセリングルームを開く前のこと、

この道25年の大先輩のカウンセラーに連れて行っていただいたところが、

とある渡しの船着場でした。

朝早いので、船頭さんがいるのかなといぶかりながら行って見ると、

ちょうど船の用意をしていらっしゃるところで、

「お、先生、はやいですねー」

とすっかり顔なじみらしい挨拶をされました。

小さな船だけどゆっくり場所を確保できて、

青い空の下をひろびろとした川面を揺れながら、

ぎっちらこ、ぎっちらこ・・・・

櫓を漕ぐ音にも癒やされ、ぼおおーっと心が緩んでなごむのを感じました。

「カウンセラーという仕事はね、

こちらの岸から広くて深い河を渡して、人をあちらの岸へ届けてあげる船頭さんなのですよ」

ご縁をいただいて来てくださった方になにができるかと思い悩むたび、

このときの言葉を思い出します。

その方の行きたいところへ行き着けるように、

彼の地がきっとあるはずと信じて、

船の上からはるか向こう岸を遠望しているのです。

今年も何人の方を送り届けることができたやら。

船に乗ってくださった方に感謝しています。

しっかり船のメンテナンスと漕ぎ手の筋トレを怠りなく、

北斎の荒波も越えていけるように

来年もがんばらなくちゃ。

潮もかないぬ 今は漕ぎ出でな

14・・・人間関係を育てる

 中学卒業の直前、中学3年生の2学期、3学期ごろから学校へ行けなくなった子どもにとって、周囲が進路を決めて行く中で、その焦りと不安は想像するに難くありません。急に潮がひくように自分のまわりに誰もいなくなってしまったような疎外感や置き去り感を感じて孤独にさいなまれていきます。親からは、今時分行けなくなってどうするのかと責められるでしょう。

 学校から、来るように言われるのもつらいですが、ほっとかれるのもつらいという自己撞着に陥るでしょう。

こういう場合には、どんな方法があるのでしょうか?いろんな人を見ていて、思うことを書いてみます。

 ひとつは、進路決定の時期がつらすぎるなら、一年間「家を居場所にして過ごす」という選択肢もあります。充分に心を休めて、好きなことやりたいことにじっくり取り組む時間が保証されます。それを通じて友達ができたり、知り合いのところでバイトをしたり、ボランティアをしたり、フリースペースに行っていろいろな活動に参加したり、・・・などの過ごし方をしている子どもたちがいます。

 2?3年家で過ごしてじゅうぶんエネルギーが溜まったら、なんらかの動きを見せはじめて、自分で必要を感じると高校に行ったり、高認を受けたりしています。

中には、好きな本を思い切り読みたくて、何年も家にいる子どもさんいます。

何年間かバイトをして、通信制高校に入り、バイトつづけながら併行して高卒資格をとっていく人もいます。

 もうひとつは、どこかに所属していないと精神的に不安定になってしまうのであれば、不登校を経験した子どもを多く受け入れている高校を親に探してきてもらって、その学校の感想を聴いたり、パンフレットやHPをみて、比較的合っているなと思うところにとりあえず入って、高校生活に馴染めるかどうか、少しずつ様子をみるという方法もあります。

中学時代にどんな経験をしたかでもちがいますが、中3で行けなくなった子どもは、「教室」に入れないほど心が傷ついている状態で卒業を控えているのですから、新たに高校という「教室」を見学するには、まだ元気が回復していないことが多いのです。カウンセラーから、子どもも一緒に見学に行ったほうがいいと言われ、でも目の前の子どもは落ち込んでいて動けそうにない、という事態に悩む親御さんもいます。

子どもが、どこでもいいから進学したいというなら、親だけでも複数の学校に相談に行き、子どもに情報を伝えていくといいでしょう。子どもが興味を示して、見学に行ってみようかと言い出すかもしれません。

入っても行けるかどうかは分からないけれど、それでも本人の安心のために入学金を納めても良いと思われるなら、手続きしてあげたらいいと思います。それぞれに家計の事情はちがいますから、通学できるかどうか不確定なら、お金は出せないと思われたら、子どもに事情を説明して、相談して授業料の安い進路を選択していかれたらいいと思います。

親がこれだけしてやったんだから、どうしても通ってほしいという気持ちになるなら、行けなくなったとき、子どもの落ち込みは深刻になります。

頭で行かなくてはという思考と心のしんどさとの葛藤がたかまり、自分を責めて精神的に非常に不安定になります。

どちらにしても、親子、家族とのコミュニケーションがよく、家がある程度安心できる居場所になっていれば、何とかなっていく子どもがほとんどです。その間に、ひと回りもふた回りも大きく成長しています。

要は学校であれ、学校以外であれ、どんな人間関係を経験して、そこから何を学んでいるのかがとても大切だなと思います。豊かな人間関係が紡いでいけたら、その子にとって一生の財産です。高校卒業が何年か人より遅れても、それ以上に得たものの方が大きいと言えます。

つづく

13・・・今の学校はしんどいけど高校進学したい子のために(2)

「高校」というと、昔ながらの全日制普通科の高校が思い浮かぶと思います。今でこそ、いろんな高校卒業資格をとる方法があると知っている私ですが、不登校だった上の子どもが中学卒業時には、何も知らず定時制か大検(大学入学資格検定試験)しか思いつきませんでした。あとは全日制の私学ですが、どこにどんな高校があり、不登校の子どもを受け入れてくれるところがあるのかどうかも知らなかったのです。今のようにインターネットもありませんし、新しい情報を得る手段がほとんどありませんでした。当時の学校からは情報をもらえませんでした。

高校、というより高卒資格が得られる進学先にはいろんな教育機関があります。

案外、学校へ行っている子どもでも、こういう選択肢を知らないために、無闇に成績にこだわりすぎて子どもを追いつめたり、「どうせ勉強できないから」と将来への希望をなくさせてしまったりしている場合が多いと思います。

全日制以外の高校と特徴および感想

・ 定時制・・・昼間定時制、夜間定時制、午前・午後の2部制、夜間もある3部制など。

 様々な年代の生徒が通うので、人生的な学びができる。

(中年過ぎて入学する生徒もいるので、教師と生徒の関係が全日制より対等で、生徒の意思を尊重する傾向があります。その分、ここで卒業するのだ、とか学ぼうという強い意志がないと続かなくてやめる人も多いと聞きます。やめた子ども達が、そのあとどうしているのかが、気になるのですが。)

 教師が生徒の生活面まで気にかけてくれる。

 学習面で、必要とあれば中1からやり直してくれる。

逆に最近は中学で不登校だった生徒が多く、中には勉強が好きで難関大学を志望する生徒も居るので、求めればそういう要望にもできるだけ対応しているという話も伺ったことがあります。

・ 通信制単位制

レポート提出、スクーリング、単位認定試験によって単位の履修、修得が認められる。

1年間に習得した単位は次の年に累積加算するので、留年はない。3年間在籍し74単位習得して卒業。

(全日制高校に行ったけれど、しんどくなった生徒は前籍校で習得した単位を持って転入できるので、退学する前に相談にきてほしいと聞いています。留年が決まる前に、親はある程度情報をいれておいたほうがいいでしょう。)

自分で作った時間割で授業を受けるので、自分のペースでやっていきやすい。

学校によって、少人数の授業を受けるシステムや個別指導と授業を組み合わせているシステムなど、いろいろある。

自学自習が基本なので、レポートの提出日や受ける授業と教室が科目によって違うので、ひとつひとつ自分で確認して自己管理しなければならないので、かなり強い意思が必要。

しかしこれを3年間やれば、実社会で役立つことは言うまでもありません。卒業生の人で就職活動のとき、自己管理する力がついたと自己アピールした人もいました。

・ 通信制サポート校

自己管理という面では、まだ毎日通学する元気を回復していない子どもがこなしていくには厳しすぎる面があるので、学習の支援をしたり、3年で卒業できるようにサポートするのがサポート校。

特定の通信制高校と提携し、その学校の生徒だけを対象にしているところと、通信制高校の生徒全般を対象にしているところがある。

前者は、レポートの作成提出、スクーリングや試験もそこで受けられるところもある。

近年このようなサポート校が、自前の広域通信制高校を設立していっている。

中には、大学受験予備校や受験コースを併設している学校もある。

担任制をとっているところと、少人数の場合、全教員で子ども全体を見ていくところもある。担任制の場合、担任一人当たりの生徒数が多人数で、なかなか手が回らない例も聞くので、確認したほうがよい。

しんどい思いをした子どもを多く受け入れているので、一人一人を丁寧に見てくれる先生が多いです。学習面だけなく、メンタルな面も相談に乗ってくれます。アスペルガーなどの特性をもつ子も個別に対応してくれる学校もあります。

*通信制高校でもサポート校でも、クラブ活動ができたり、独自のプログラムを作っていたりするので、学習面以外でやりたいことがあれば、そこから探してみるのも大切なのでは。

・ 高等専修学校技能連携校・・・職業教育(情報、ビジネス、調理、理美容、音楽、アートなど)を行う高等専修学校の中で、通信制単位制高校と連携しているところ。

授業時間数が多いので、不登校の子どもの場合、じゅうぶんエネルギーが充電できていてこの仕事につきたいとかこれをやりたいという積極的な意志がないと続けていくのは難しいように思います。

先日も、夫の知人の中学へ行っている子どもさんが、音楽が大好きでいろんな楽器を演奏して楽しんでいるけれど、成績が良くないので高校へ行けるのかと心配されていましたが、夫がこういう学校もあるよと教えてあげたら「うちの子にぴったり!」と喜んでいらっしゃったそうです。

不登校にかぎらず、いろいろ知っておくと安心して子どもを見守っていけるし、その子の熱中していることを伸ばしてあげられますね。

 

・ 高校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)

高卒資格だけとにかく早く取得したいというのであれば、これはお勧めです。予備校の先生は、「とにかく授業にさえ出てもらえば、半年も勉強すれば取れます」とおっしゃってました。本当に4、5ヶ月通って受かっている子どもが結構います。

この資格が取れたことで自信ができ、大学や専門学校に進学していく子どもが多いです。

こうした予備校で、一度社会に出て必要を感じて勉強に来ている人など、いろんな人に出会って視野が広がったという経験も何度か聞きました。

何度も言うようですが、どこの学校へ行っているかということより、子どもが誰と出会って(家族でもいい)、どんな経験をしているのか、そこから何を学んでいるのか、なにを感じているのか、なにを考えているのかに意識を向けていったほうが子どものためになるように思います。学歴の上では立ち止まっていても、そういう時に子どもは精神の幹を太く成長させているのだと思います。傍から見ていたら、落ち込んでいたり悩んでいたり、のらくらしているように見えているんですけど。(と、今だから言えるんですけどねー。私もはらはらしたり、むかついたり、どきどきしたり、してたんですよー。)

つづく

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