福本早穂の教育心理カウンセリングオフィス、子どもと家庭の相談室こころのそえぎ 京都市山科

こころのそえぎ

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やった、思った、感じたこと

春の別れ

まだベッドや机など残してはいるものの、いよいよ一人で暮らし始めた下の娘。

過去の自分を脱ぎ捨てるように、いろんなものを捨てて行った。

何カ月もかかって描きあげた畳2畳くらいの大きなカンヴァスの絵も。

思い切りの良さに驚いている私。

なかなか物を捨てられないのが弱点の私には、その思い切りのよさがどこからくるのかと、カンヴァスを前にしばしチンシモッコー。

10代からこれまでの娘の姿が思い起こされて、心がじんわり温かくなった。

問題をひとりで抱え込んでしまうので、それが心配。

友だちもいるらしいけど、家族にはあまり話してくれないね。

娘のことなにも知らないし、わかってないんだろうね。それでも、お母さんのことを好きらしい、ってときどき感じるのです。(照れ笑い・・・ハハハ)

<会員限定>春のカウンセリングキャンペーン4月まで

寒い春ですが、入学式のシーズンには桜の花が咲いています。命のエネルギーを感じるときですね。

さて、2月から4月まで

あんだんて会員(支援会員も含む)の方限定で、通常よりカウンセリング料金を安く設定させていただいています。

会員価格5000円→3500円

この機会にカウンセリング体験をしてごらんになりませんか?

 

悩みが大きい。  なにか行き詰っている。   気持ちの整理をしたい。  一度自分と向き合ってこれからのことをゆっくり考えてみたい。 不安を感じる。  人間関係を変えたい。

など自分のためにゆっくり時間をとりたいときご利用ください。

お申込み、問い合わせは、上段黄色リボン「お問い合わせ」をクリックしてください。

(会員は年会費4000円 半期2200円  当日ご入会できます。会員特典については、あんだんてHP。)

 

 

 

一人でできるもん

ひとり暮らしをしてもいい?って聞いていた次女。

ずーっと先のことと思っていたら、ある日部屋を決めてきたって!\\(◎o◎)/!

この子にはいつもびっくりさせられる。

家を出る段取りがついたら、俄然元気が出てきた。急に饒舌になって昔よく読んでいた「日本むかし話」からいくつも物語りしてくれる。次から次へと・・・。

いちばん面白かったのは「屁ひり女房」。ONARAの一発で、鈴なりになっていた柿の実を、木からぜんぶ落としてしまうくらいすごい!

 

こんな語りの場面を残して出て行くんだね。あなたらしいよ。

幼稚園の頃、「幼稚園は幼稚だから行きたくない」と言って私を困らせた。中身だけ大人だったから、いろいろ辛抱してたこともあったんだろうね。

20歳過ぎても、いつだって小さいときの顔を思い出せる。ありがとうね。いっぱい親孝行してくれて。ごめんね。なんにも大したことしてやれなくて。

語り合いと寄付を

あまりの惨事に気持ちがふさいでしまっていました。

被災地に身内の方や御親戚、友人知人のいる方もいらっしゃるでしょう。

御心配でいてもたってもいられないことと思います。

私は千葉と東京に友人がいますが、心身は無事と聞き、安堵しました。

こちらにいても、不安になったり心が痛かったりします。その思いを溜めこむより、人と話すことで放していくことも必要かと思います。

語り合う中から、本当に必要とされている支援につながるのではないかとも思います。

今は、ボランティアも受け付けられる現状ではないと聴きます。

節電も関西からは送電量が限られているので、普段以上のことはできないとか。

気持ちを届けたいなら、信頼できる受け入れ機関を選んで、できる範囲での寄付金が今のところ最善でしょうね。

ネットからの寄付は苦手なので、昨日郵便局に行ってきました。

 

 

ゲシュタルトワーク

グループワークでは、グループのダイナミックなエネルギーが気づきを促進させてくれます。

ワークしている人の本音を見たとき、本物の感情を見たとき、見ている人のだれもが支持したくなるのですね。たとえそれが、ネガティブな感情であったとしても、それなしには生きてこれなかったその人の必然性を感じるからでしょう。

だれも傷つかないで生きている人はいない。だれもが懸命に自分の人生を生きていることに共感するからでしょう。

 

ワークをすることに抵抗を感じるが、やってみる必要を感じている。   そういう場合、ワークをしたいと思っている自分と、それを抑えている自分の中の「なにか」と対話する。

「抵抗している自分」が『ワークをするのはこわいよ〜。』と「『ワークしたほうがいいよ』と思っている自分」に伝えられると、不思議とこわさが軽くなるのです。『こわさ』を感じているからだの状態が楽になっていることに気づくことが多いのです。このことは、先日の日記「感情を育てる」で書いたことと同じ理屈ですね。

体の感覚と認知が一致すると変容が起こるというのは、ゲシュタルトワークのなかでずっと起きています。自分の感情や感覚を大切にして言葉にしていくということはとても重要なことなんですね。

 

 

感情を育てる・・・家族カウンセリング協会の研修より

家族カウンセリング協会の研修で、「感情を育てる」という言葉に出合った。

「心を育てる」という言葉は馴染みがあるが、「感情を育てる」という事は耳新しい。

子どもを大事に思うから、親は子どもが元気で笑っていてほしいと願う。泣いたりぐずられると不安になる。また社会全体が子どもの泣き声やぐずりに不寛容になっている時代でもある。ここに子育てがますます困難な苦しい仕事になっている要因がある。

あかちゃんは、お腹がすいたり暑かったり不快を感じるとき、泣いて親に訴える。(その泣き方は半端じゃない。全身を使って声のかぎりに泣いている。これが生命エネルギーというものかと畏敬の念すら覚える。)

その訴えに応じて抱きしめてもらうと安心する。不安を感じた時「よしよし、お腹すいたのね」と声をかけられ、だっこしてもらい、空腹を満たしてもらうことで安心する。

不安なときお母さんが来てくれて、いつも抱きしめられて安心するという、その繰り返しによって、赤ちゃんは「基本的信頼感」を育てることができる。赤ちゃんが最初に獲得する感情は「安心感・安全感」であり、それはさまざまな感情が育っていくための大事な基礎になる。

 

 小さい子どもは腹が立つ、悔しい、悲しい、恐れ、不安、などネガティブな感情を言葉にできない。なぜその感情がおきたのか状況を説明できない。子どもが腹が立って興奮してものを投げつけたとき、親は叱るだろう。叱られて子どもが泣けば「泣くんじゃない」とまた叱られる。

そのとき子どもの気持ちを言葉にしてあげると、子どもは自分のなかにわき起こった感情に気づくことができ、その感情を人にわかってもらったことで安心する。「Aちゃんが貸してねって言わないで、君のおもちゃをとったから、腹がたったんだね」と感情と状況を言葉にしてもらうと、自分のきもちをわかってもらえた経験をする。

 

その経験の繰り返しによって、かっとなったときものを投げつけないで「Aちゃんがぼくのおもちゃをとったから腹がたっているんだよ」と言葉で伝えることができる子に育つ。(感情の社会化)

 

怒り、悔しさ、悲しさ、不安、恐れなどネガティブな感情は親に受容、共感されにくい。ネガティブな感情は「ないこと」にされてしまう。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」「たいしたことない」と言ったり、お菓子で気をそらしたり・・・。

「ああ、痛かったね」「こわくなったんだね」「悔しいんだね」と身体感覚や感情に共感して抱きしめてもらってから、そのあとでの「だいじょうぶだよ」ならいい。

子どもが転んだとき、「痛くないよね」「だいじょうぶ!」など「ないこと」にしてしまうと、身体感覚や感情を感じる脳の辺縁系(海馬体、扁桃体など)をスル—して、大脳皮質(前頭前野、前部帯状回など)で「痛くない」と判断してしまう。

身体感覚と前頭前野で判断する認知とが一致しないとき、矛盾する情報を処理して環境に適応するためには、情動や痛みを「解離」させなければならない。

ネガティブな感情を「ない」ことにして感じないようにしていると、身体で感じていることと頭で認知していることとの間に「解離」が起こる。軽度な解離(一時的な解離)は子どもに起こりがちなこと。しかし、解離が常態化していると、いつも家でにこにこ明るい元気な子ども(大人が理想とする子どものイメージ)が、学校でのちょっとしたことがきっかけで暴発し、コントロールできないことがある。いわゆる「きれる」状態がこれである。

 

久しぶりに休日

染色織物をしている友人の作品展がみやこめっせで開催されていて、ちょうどOFFの日があったので行ってみました。

若いころ、いつもジーンズにブーツを穿いていた彼女が、織物に興味があったなんて知らなかった。

その頃からずっとその思いを温めていたんですね。結婚して子どもができてから、偶然今の師にであってこの道にはいり20数年。

染織する材料を求めて、草や木や根を取りに野山に分け入る毎日なのでしょう。

光と風が布の裏から萌え出てくる感じがします。

繊細、やさしさ、たおやかさ、きびしさ、華やぎ、うつろい、しずけさ、潔さ、あたたかさ・・・

いっぽん、いっぽんの糸が歌っているような表情をしていました。

 

本当はなにが言いたいのかを聴く。

ゲシュタルトセラピーの勉強会。

体の動き、姿勢、身ぶりに自分の気が付いていない感情が現れる。

セラピストは本人が気づいていない体の動き、姿勢、身ぶりに注意を向けさせる。

「それらが出てくる元にある感覚、感情はからだのどこにありますか?」

からだの中の感覚を感じながら感情を言葉にすると、ほんとうに言いたかったことが出てくる。

過去の体験、感情を「今ここで」再体験してみると、そのとき気がつかなかった気持ち、言えなかったことが、口に出せる。

あの時本当はこんな気持ちで、こんなことを言いたかったのだ、と気づくと不思議なことに心と体が変わる。「未完のことがら」を完了させることができる。

カウンセリングのなかでいつセラピーが必要になるかわからないけれど、感覚は鈍らせないよう訓練しておかなければならない。

浪人中のさむらいが、必要な時に備えて剣の腕が鈍らないよう、修行しているようなものかな。

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